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逃げる、イコール進む。

またかなり間が開きました。文体もちょっと変わっちゃいましたね。

今、私は高知県にいます。私が生まれた場所ですが、記憶にはありません。両親と下の弟が、今は亡き祖父の家で暮らしています。

私はそこに駆け込みました。文字通り逃げ込んできました。特に何をされたわけでもありません。むしろ『何もされなさ過ぎた』と言った方がいいかも知れません。私が本当に分かってほしいことを、私の家族であった夫はしてくれませんでした。

あまりにも孤独で、友達と呼べる人もいなくて。社会復帰すればあるいはと思い、障碍者職業センターに労働訓練に通いましたが、体力が続きませんでした。働けないと思ったとたんに何かが壊れ、私は数日で荷物をまとめ、通っていた病院に紹介状を頂き、予定を待てずにマンションを飛び出しました。名残を惜しんでやたらじゃれてくる夫に、耐えきれなくなったからです。
ゆっくり本州を離れるように、ほんの少し放浪しながら、私は高知に向かいました。

結論から言えば、高知行きは良い選択でした。私が選んだのはT総合病院なのですが、それまで通っていた東京の大学附属病院よりも設備がよく、また医師にも看護婦にも精神的余裕を感じられました。母の話では、高知の病院は都市部より待遇が良いそうです。おそらく、それが行動にゆとりを与えているのでしょうね。

更に、私はリウマチに似た別の病気である可能性が強くなってきました。SAPHO症候群というのですが、骨、関節、皮膚にも異常が現れる病気です。レントゲン、MRIなどで調べた結果、関節ではない部分の骨にも、欠ける、曲がるなどの異常が出ていました。(足の裏に大量の斑点も出ていましたが、それは水虫でした(;^_^A )

メンタルの方も、実は躁鬱ではなく発達障害(ADHD)的な特徴の、二次的な症状ではという診断が出ました。これにはちょっと異論を挟みたくなるのですが、薬の一部が躁状態にしている可能性があると言われ、とにかく減薬しつつ様子を見ようと方針が決まりました。

治療の方は検査と方向転換でばたばたしておりますが、日常は東京にいる時よりゆったりしております。ここでは急かされる事もなく、放置されることもなく、程よい距離で家族が接してくれます。実家の面々はそれぞれが成長していました。特に母は大学の公開講座に通ったりして、並の学生よりも熱心に勉強しています。

東京にいるとき、夫はこう言いました。「自分はもう、成長もしないし変わらない。もう歳だから(頑張ることは)無理」
彼にこの家を見せてあげたい。あんなにいがみ合っていた親と子が、お互いを尊重して生きるようになったこの家を。今でもそれぞれが学び続けているこの家を。

私はこの家で心身を労わりつつ、人生の先へと進んでいきます。

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