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メンヘラリウマチ、心理学。

 関節リウマチが悪化していた。つい先日まで右膝が曲がらず、その前は歩く事も腕を上げる事も困難という、なんとも酷い情況。しかし今は全身の痛みは去り、右膝だけが曲げると痛いかな、というレベルだ。

 不思議とメンタルは落ち着いている。関節リウマチは原因の分からない病気だ、治療法だって免疫力を抑える以外にない。しかし私は、変動する炎症値にわくわくし、膝にたまった水を抜くのも楽しみで、動かない右膝が変に曲がってしまうのに笑いをこらえて、まぁ楽しく生きている。

 そんな私は強いらしい。あるメンヘラの友人がそう言った。私はそうかもねと笑って答えたが、最近知ったある心理学が、自分の思考にぴったりと当てはまっているのに驚いた。

 アドラーの心理学。

 彼の心理学は、分析と実践がセットになっている。――人は常に進んでいる。立ち止まっているように見えても、その人が望む方向へと進んでいる。原因も理由も考えず、今自分が何を思い、何を望んでいるかをきちんと見据えることで、自分をより知る事が出来る、自分を変える事もできる。

 私は虐待の過去を恨んでいる。しかしそのせいにして、自分のできない事の理由にはしない。過去は変えられないのだ、今しか変えられないのだ。だから今だけを見る。今を優先する。過去にこだわりまだ攻撃する母親を見て、うんざりしたのもあるが。

 人には表裏がある。どんなに卑下した言葉だって、ひっくり返すと良い面が隠れている。「臆病で外に出られない」のなら「インドア派でいいんじゃない?」と言えるし、「彼女ができない」という人なら「慎重だね」と変換できる。それは自分に対しても同じだ、「今日は動きたくない」と苦しいときは、「休むべきときなのかも」と考える。甘えのようにも見えるが、実際そう思って横になっていたら、翌日リウマチ痛が劇的に軽くなっていたりするから、あながち間違った判断でもなさそうだ。

 他にもアドラーの言葉には、納得したり感動したりするものが多い。人に上下はない、アイ・メッセージ、感謝、他者信頼、他者貢献、自己受容。人が共同体として生きていくうえで、幸せになる考え方を提唱している。

 人が一番恐れるのは孤独だ。私は愛を欲しがるばかりに裏切られ、孤立した人を何人も見た。そんな人が取る行動が攻撃、いやがらせ。マイナスストロークという、嫌われても相手にされる方法だ。
 理解できない訳じゃない。そりゃ復讐の一発でもしたいよねって事もある。だけど私は、それは不幸の入口だと思うのだ。芯から笑う事のできない人生の、第一歩だと思うのだ。

 私は、私自身が幸せであるために、周囲が幸せであればいいと思っている。不完全な事を、腹から笑って支え合えればいいと思っている。不満や攻撃を繰り出す一部に苦笑しながら、のうのうと社会の一員として世を渡っていけばいいと思っている。人はそうそう、孤独になんてならないのだから。

 

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