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今は皆「びょーき」なんですけど。

 数値上では回復の兆しがない私の関節リウマチだが、痛みはほぼ無くなった。たまにぶり返して歩くのが辛い日もあるが、平地を歩くには問題はない。検査結果と伴わない症状に首をひねる、医師の様子がおかしく映るこの数ヶ月である。
 しかしもう一つの病気、双極性気分障害はうつ気味な状態が続いている。一か月ほど何もできず寝込み、復活しては頭痛で寝込み。若い頃無理した罰である、こればっかりは受け入れるしかない。

 ところで脳の病気がらみであるが、最近色々な思考や行動の特徴が、「障害」「症候群」として特定されている。その範囲はとても広く、はっきり言って何も引っかからない人間などいないレベルである。最近の精神科系サイトでは、『この症状に当てはまるからと言って、必ずしも治療が必要とは限りません』と但し書きをしているほどだ。

 しかし世の中には他人が失敗を繰り返すのを見て、「この人、脳のビョーキなんじゃない?」と、笑い者にする人がいる。私からすれば、そんな人こそアスペルガー症候群か自己愛パーソナリティ障害じゃないかと疑ってしまう。しかしそう伝えたらきっと、その人は烈火の如く怒り周りを巻き込んで、偏見だとか病気の人に失礼だとか騒ぐのだろう。それが容易に想像できるので、私は苦々しく思っても黙っている。

 一部が秀でている人は、どんな人であれどこかが欠けている。病理で説明しても分からない人でも、こういう例えなら分かるだろう――物凄く集中力が高く、仕事の精度も高い人物がいたとする。しかし目の前の仕事に没頭しすぎて、睡眠や食事を後回しにしてしまう。――もしくは、創造性豊かな人がいる。その人の作る物はオリジナリティに富んでいる。しかし着想するとそのことで頭がいっぱいになり、突然その場で設計や計算を始めてしまう。

 天才は奇行が多いという。天は二物を与えずともいう。それは素晴らしい脳の個性が、世間が求める常識的行動の邪魔をしているからである。しかも世間は、平均よりやや上のスマートな振る舞いを『常識』として求めるのである。はっきり言って、それは誰にもできない。尖った特徴を何も持っていない『完全な健常者』なら、なおさら届かない。

 なぜその人が目立つのか。それは秀でた部分があるからである。その分劣った部分があるからである。劣った部分だけを指摘して笑い者にする人は、その人が持つ特徴を何も持っていない「無能」に過ぎない。

 相手の劣った部分に困っているなら、助ければいいのである。影でただ文句を並べ、利益だけ口を開けて待っているなんて、それこそ自分が何もできないと叫んでいるようなものである。

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