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進化に立ち合ってきた『初めて』の感動体験

"What do you want for your next birthday?” (次の誕生日に何が欲しい?)
"I want~…"のパターン練習として、教室の子どもたちにこの質問をするたびに、今の子どもたちの物欲の無さに唖然とする。
たいていの生徒たちの反応は「え〜っ、別に欲しいモノないしー」か、速攻で「Money!」か、のどちらかだ。
講師側の私は『欲しいモノリスト』の手帳のページが、文字で埋まっているというのに。。。

生まれた時からスマホもパソコンも当たり前にある恵まれた世代、もうこれ以上進化する余地のないような豊か過ぎる環境に育って、欲するより先に与えられて、ハングリーな気持ちや願望が持てなくなっているのかなぁ、と勝手に推測している。

昭和生まれの私たちは、ギリギリ、古いモノから新しいモノへの進化の過程に立ち合ってきた。
たとえばエアコン。実家の6畳間に初めてエアコンを設置した遠い夏の日の風景を鮮明に覚えている。近所の電気屋さんの作業をドキドキしながら見守る私たち家族。
試運転で冷風を感じた時の衝撃と感動は、その後の人生で匹敵するものがないくらい大きかった!
扇風機だけの夏からの卒業だった。

テレビやパソコンの液晶画面が誕生した時は、薄っぺらい本体の中に精密なワールドが組み込まれていることが信じがたく、開発者たちの知恵と技術に圧倒された。

固定電話しかなかった時代、持ち歩ける『携帯電話』を手に入れた時の高揚感も忘れられない。分厚いトリセツを何度もめくって、機能を一つ一つ覚えていく過程にもワクワクした。
やがて、折りたためるタイプのガラケーが出現、携帯でメッセージが送り合えて、カメラまで搭載されて。。。すべてに歓喜した。

音楽を聴くにはレコードが主流で、レコード・楽器専門店でお目当ての歌手のシングル盤(EP)とアルバム(LP)を探す休日は至福だったなぁ。
その後、A面・B面、裏返さず一気に全曲が聴けるCDの開発は画期的で、レコードはアッという間に主役を奪われたけれど。

シャッターを押すだけで写真が撮れる自動焦点カメラ、いわゆるバカチョンカメラ(今考えると、すごい名前だぁ)に10代の私は夢中になった。
家族でのお出かけにはカメラと三脚を欠かさなかったカメラ好きの父親の影響で、写真は日常となり私の趣味の一つにもなった。
重くてごっつい一眼レフのカメラしかなかった時代、女性も子どもも気軽に操作できる、が謳い文句のバカチョンカメラの出現は、どれだけ私をとりこにしたかわからない。

今では当たり前に享受できるテレビや動画の2か国語放送。
私の子ども時代、そんな機能は夢物語、テレビで洋画や海外ドラマを見るには吹替しか選択肢はなかった。
私はハリウッド映画から英語に目覚め、テレビでも海外ものを見るのが大好きな子どもで、日本語をしゃべる外国人俳優たちが不満だった。

念願の2か国語放送デビューを果たしたのは忘れもしない、祖父母の家のテレビ!何と我が家より先に祖父母宅の方が最新式だったみたい。
リモコンの切り替えボタンを操作して、あの頃、欠かさず見ていた『大草原の小さな家』から英語音声が流れてきた時の鳥肌ものの感激がよみがえる。
初めて聞くローラの肉声は、吹替の声よりやや低い大人っぽい響きだった。
まだ何も聴き取れなかったはずの副音声の英語音声は、音楽のように心地よく私を魅了した。

不便も便利もその両方を経験できた昭和世代の私たちは、実は恵まれていたのかもしれない。
不足していたから技術者たちは夢をみて開発を重ねた。令和の世の中ではほとんど機会のない、いくつもの『初めて』の体験と感動。モノクロで彩られたそんな時代が、今となっては愛おしい。

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