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友人と私の遠い夏のUSA <機内編>

友人と私の遠い夏、アメリカ縦断旅行第2弾は、旅の機内の交流や思い出編。

強烈に忘れられないシーンは、行きの成田空港からサンノゼまで乗ったアメリカンエアラインでの出来事だ!
細かい経緯はうろ覚えだが、私たちの座席の左側の列の通路側の白人男性と、そのすぐ後ろの席のアジア人風の女性が、何やらやり取りをしているシーンが目に入った。前の席の男性が微笑みながら、やたらと後ろを振り返って何かを手渡している。

そのやり取りが音声を伴っていないのに気付くのに時間はかからなかった。
そう、二人は何と、座席に配られていた?紙ナプキンに文字を書いて、言葉のやり取りをしていたのだった!

そのうち、女性がろうあ者であることがわかった。何をきっかけに紙ナプキン交流が始まったのかはわからない。
ただ、言葉はなくても、二人はにこやかで和やかで、離れた私たちにまで温かい空気感が伝わってきた。

ちなみにそのアジア人女性には、小学生くらいの男の子が2人いて、親子3人手話のみの会話をしている様子から、全員ろうあ者であることが、後にわかった。

前の座席の白人男性との、筆談による静かでにこやかな会話はしばらく続き、旅の始まりを飾った映画のワンシーンみたいな光景に、胸いっぱい幸せのおすそ分けをもらった。

二つ目は、ロサンゼルスから東海岸ニューヨーク行きの機内での経験。
そう長いフライトではなかったが、あいにく上空に雲が多かったのか、機体はかなり揺れた。大きくアップダウンするたびに、乗客の小さな悲鳴にも似た声があちこちから漏れてきた。
私たちも身体がこわばり、ひたすら耐えるのみ。そして、やっとニューヨーク、JFKエアポートに無事到着!
その瞬間、まるで申し合わせたかのように乗客席から拍手喝采が起こった。つられて友人と私も拍手の波に加わった。
あの時の乗客の一体感は、日本では経験したことのない高揚感に満ちていた。お互いの表情は見えなくても、笑顔の輪が広がっている空気を感じて、飛行機を後にするまでハッピーな余韻が続いた。

最後は、旅の終盤、いよいよアメリカを後にして、ニューヨークから最後の目的地、カナダのトロントに向かう機内。
友人と座席は離れ離れになり、私は最後尾の二人かけの席の通路側となった。
隣り合わせたのは、若い白人の女の子。
しばらくして、どちらからからだったのか、会話がスタートした。おぼろげに覚えているのは、その子が19歳のカナダ人であること、アメリカから自宅に帰るところであること。ブロンドのカールヘアが可愛らしい女の子だったこと。

そして!一番強烈に記憶に残っているのは、その子のフランス語訛りの英語が、とってもとっても聴き取りづらかったこと。(カナダは一部フランス領だったこともあり、フランス語圏が今でも存在して、人によっては英語もフランス語訛りがあったりする)

その座席が運悪くエンジン?の真上で、ハンパなく機械音がうるさいという不運に見舞われた。彼女の声もところどころかき消され、ただでさえリスニングに苦労する訛りのある英語、全身耳にして必死だったあの時間はまるで修行だった。
機械音に負けないように、お互いの声もそのうち張り上げるような音量となり、機内食が運ばれて来て食事するひととき、ホッとできた解放感を記憶している。

それでも、振り返って蘇ってくるのは、彼女の満面の笑顔と人懐っこさ。ちょっと普通ではないようなシチュエーションでも、見知らぬ隣りの人との交流が始まる。。。海外ならではの胸アツなワンシーンとして刻まれている。

日本だったらちょっと考えられないなぁ。
たとえば飛行機の座席で隣り合わせた人と、エンジン音がうるさ過ぎる状況で、会話を試みるだろうか。いや、静寂な中でもまずないだろう。
日本でよく感じる『話しかけないでオーラ』は、単一民族ならではの平和な国家の証なのかも、とも思う。
他民族国家のアメリカでは、「私は危険な人物ではないですよ!」と証明するために、あえて笑顔で挨拶して短い会話を持つ、と聞く。

フランス語訛りの英語と、今よりさらに貧弱だったあの頃の私の英語会話力での多分、トンチンカンな会話。
でも、思い出はいつも優しい。旅の終盤を今でもホンワカ照らしてくれている。

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