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【デニス・サファテ】球は速いがコントロールがイマイチとMLBでは活躍の場が限られていた長身右腕は福岡の地で花開き 前人未到の記録を次々と樹立して神と並び称された助っ人クローザー

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は、デニス・サファテを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=2wibtZnzUb8

1981年、アメリカ合衆国ニューヨーク州に生まれた
本名デニス・スコット・サファテは
ギルバート高等学校を卒業した1999年、
MLBドラフト15巡目で
テキサス・レンジャーズから指名されましたが
これを拒否、アリゾナ州立大学に進学します。

編入した
チャンドラー・ギルバート・コミュニティ・カレッジ
在学時の2001年、今度はMLBドラフト9巡目で
ミルウォーキー・ブルワーズから指名されて
入団すると、2006年のフロリダ・マーリンズ戦で
メジャーデビューを飾りました。

ヒューストン・アストロズにトレードされた
2007年には自己最速159キロを記録したほか
メジャー初勝利も手にした右腕(うわん)でしたが
シーズンオフにMLBを代表する遊撃手
ミゲル・テハダの交換要員として
ボルチモア・オリオールズに移籍すると
翌年は鎖骨骨折、翌々年は右手の血行障害など
思うようにいかないシーズンが続いたのです。

しかし怪我も完治した2010年、
3Aで47試合に登板して
20セーブを挙げて復活を遂げた頃、
クローザーを探していた広島東洋カープは
メジャーで5勝4敗、防御率4.53の
長身右腕に白羽の矢を立てると
FAとなっていた身長193センチ、
体重102キロの助っ人は海を渡ってきたのでした。

来日1年目から
1勝3敗35セーブ、防御率1.34と期待に
応えましたが
シーズン終盤に鼠径(そけい)ヘルニアを
発症した影響から
翌2012年はキャム・ミコライオと入れ替わり、
セットアッパーへ配置転換されると
オフに自由契約が公示されたのです。

するとセットアッパーを探していた
埼玉西武ライオンズがすぐに契約、
調子を取り戻した
サファテはシーズン序盤こそ中継ぎを
任されていましたが、途中から不振の
大石に代わってクローザーに回るなど
中継ぎと抑えを兼任しながら
フル回転の活躍を見せました。

しかし、西武ドームが非常に暑かった事や
中継ぎか抑えか、役割がはっきりとしなかった事から
コンディションの調整に苦労していた右腕は
残留に難色を示すと、西武側も自由契約を公示、
抑え不在が響いて2年間優勝から遠ざかっていた
福岡ソフトバンクホークスに移籍してきたのです。

九州の地にやってきた助っ人は
移籍初年度からクローザーに定着し
全12球団からのセーブ達成や
NPB史上初の両リーグ30セーブなど
次々と快挙を成し遂げると
奪三振率12.64を記録してリーグ優勝にも貢献、
日本シリーズでは4試合に登板し
1勝2セーブの無双ぶりで頂点に立ちました。

翌2015年も自身初の最多セーブのタイトルを
受賞したほか
43イニング連続奪三振の日本新記録を樹立、
7月21日のロッテ戦では8回ツーアウト満塁のピンチで
マウンドに上がると全て150キロを超える速球で
3球三振と完璧な火消しを見せたのです。

しかし2016年は同点の場面で打たれる事が多くなり
自己ワーストの7敗を喫した背番号58は
「優勝できなかったのは私の責任だ」と語るほど、
チームの成績に大きな影響を与える存在と
なった翌2017年、その名は伝説となりました。

4月2日にNPB通算178個目のセーブを挙げて
マーク・クルーンの記録を更新すると
7月5日には外国人投手史上初の通算200セーブを達成、
8月に登板過多から首脳陣とひと悶着あったものの
すぐに和解し、絆を深めた後半戦は
さらにギアを上げ
最終的に前人未到の54セーブまで記録を伸ばします。

頂上決戦となった横浜との日本シリーズ第6戦では
1点ビハインドの9回表に逆転勝利を信じてマウンドに
上がると、延長に突入した10回、11回も
志願の続投をし
「明日の分は残っていなかった」と球史に残る36球の
熱投を見せて日本一に輝きました。

「2014年、15年も日本一になったけど
もう先は長くない野球人生だから今回は
特別だね」と36歳の右腕は
日本シリーズ3試合で1勝2セーブ、
防御率0.00の好成績で
シリーズMVPに選ばれたほか、
外国人選手では初めて
正力松太郎賞(しょうりきまつたろうしょう)に
選出されると
レギュラーシーズンでも
最優秀選手賞に3年連続最多セーブと
タイトルを総なめにしたのです。

この時点でNPB通算229セーブをあげ、
名球会入りの
目安となる250セーブまであと1歩に迫っていた
難攻不落の守護神は
「グリーンジャケットが貰えるんだよね?
ぜひ欲しいね!
それに合うズボンとネクタイを探さなきゃ」
と口にしていましたが2018年、
ついに体が悲鳴を上げると
翌年から総額20億円の3年契約を結んだものの
股関節を負傷して本来の力を発揮できないまま
2021年11月30日、引退が発表されました。

「私はこの先もう野球をプレーする事はありません。
このような終わり方になるとは想像もしませんでしたが
素晴らしいものにはいつか終わりが訪れます。
私は最高のチームでプレーする機会に恵まれ
日本一も経験できました。
孫オーナーに球団社長、秋山監督や工藤さん、
そして全てのコーチとチームメイト、
ファンの皆さんに感謝しています。
皆さんのお陰でたくさんの困難を
乗り越える事ができました。
日本は第2の故郷です。日本で過ごした11年間を
永遠に大切にしたいと思っています。
また近いうちお会いしましょう」と
感謝を述べて帰国したサファテは
レストランでアルバイト時代に知り合った
ジェイダ夫人や4人の子供とともに
アリゾナ州の自宅で悠々自適に暮らしているそうです。

「今の仕事はお父さんだよ。乗馬を学ぶ
3人の娘の送り迎えや馬の世話をしたりね。
もしホークスからオファーがあれば
外国人のスカウトやアドバイザー的な
存在として力になりたいよ」と夢を語った右腕は
長身から振り下ろすオーバースローで
組み立ての8割をしめたという
平均球速151キロの剛速球のほか
縦に落ちるスライダーやカーブに
チェンジアップを織り交ぜた投球スタイルで
高い奪三振率を誇りました。

アストロズ時代にジーザスに興味を持ったという
敬虔なクリスチャンは
「日本人にもジーザスの言葉を伝えていきたい」と
同僚助っ人ジェイソン・スタンリッジと共に
布教活動も行っていましたが
2019年、ドナルド・トランプを批判した
女子サッカー選手とぶつかると
2020年から代表を務めている
中絶反対を支持する政治団体の活動や
バイデン政権の政策反対運動など
政治的な行動で再び注目されています。

「ホークス時代に疎外感を感じた事は無かったね。
自分のホームがそこにあると思っていたし
それが成功できた秘訣だと思っているよ。
日本に何か恩返しができれば」と
熊本地震の被災児童を試合に招待し
東日本大震災の支援に1セーブごと
10万円を寄付するなど
積極的にボランティア活動に取り組んでいた
サファテは
「名球会入り出来なかったのは悔しいけど
素晴らしい球場で最高のチームメイトや監督に
信頼されて投げられたのは幸せだったよ。
森という親友も出来たからね」と
ブラザーと呼び合った仲間との思い出を語りました。

オーロラビジョンにその名が映し出され、
Newsboys(ニュースボーイズ)の楽曲
The King is Coming(ザキングイズカミング)が
福岡ドームに響き渡る中、
勝利が約束されたファンのボルテージが
最高潮に達すると、神の化身のごとくマウンドに
仁王立ちする長身右腕は
唸りを上げるストレートで並み居る強打者を
ねじ伏せ、ホークスに黄金時代をもたらした
キング・オブ・クローザー、デニス・サファテ

いかがでしたでしょうか?
これからも海を渡り、日本に衝撃を
与えてくれた最強の助っ人たちを
ご紹介していきますので
是非ご登録よろしくお願いいたします。
ご視聴ありがとうございました

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