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【ジョージ・アルトマン】ニグロリーグからメジャーの主力選手に駆け上がった長身選手は来日1年目から活躍したばかりか足長おじさんと称された優れた人間性でファンに愛された寡黙なジェントルマン

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はジョージ・アルトマンを取り上げていきます。

【ジョージ・アルトマン】ニグロリーグからメジャーの主力選手に駆け上がった長身選手は来日1年目から活躍したばかりか足長おじさんと称された優れた人間性でファンに愛された寡黙なジェントルマン - YouTube

1933年、アメリカ合衆国ノースカロライナ州に
生まれた本名ジョージ・リー・アルトマンは
進学したテネシー州立大学で
野球に加えてバスケットボールでも活躍する
スポーツ万能な選手として1955年、
ニグロリーグのカンザスシティ・モナークスで
プレーするようになりました。

サチェル・ペイジやエルストン・ハワードなど
伝説の選手が数多く在籍していた
名門モナークスを率いていた
バック・オニール監督は
右投左打(みぎなげひだりうち)の長身外野手を
一目見るとシカゴ・カブスに推薦、
とんとん拍子でメジャーリーガーとなったのです。

1959年のメジャーデビューから
まもなくして主力選手となった
アルトマンは、Mr. Cub (ミスター・カブ)と呼ばれた
看板プレーヤー、アーニー・バンクスの後を打つ
5番打者として、カブスの名サード、ロン・サントや
ポパイの愛称で親しまれた
ドン・ジマーらとチームメイトになりました。

代打で初出場した1961年の
オールスターゲーム第1戦では
マイク・フォーニレス投手から
初打席で本塁打を記録、1963年に移籍した
セントルイス・カージナルスでも
The Man(ザ・マン)、
男の中の男と称されたスタン・ミュージアルや
カージナルスの永久欠番ケン・ボイヤーらと
強力打線を形成したほか
翌年はニューヨーク・メッツで
124試合に出場するなど常にメジャーの第一線に
立ち続けたのです。

しかし古巣シカゴ・カブスに復帰した
1965年以降は年齢的な衰えもあり
年々控えに回る事が多くなっていた事から
新たな主戦場を探していたアルトマンに
千葉ロッテマリーンズの前身、東京オリオンズが
声をかけると日本行きを決意、
身長193センチ、体重90キロの助っ人は
海を渡って来たのでした。

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