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底が見えない井戸を覗く

大友克洋先生と鳥山明先生は最初から立体を書いていた。
そんな一文を読んで、なんだか腑に落ちた。
確かに両先生の作品に初めて出会った時に感じた。
アングルを変えた時に嘘がないのは頭の中で立体だったからだ。
たしかにそれはすごいことだなぁと思う。

平面に落とし込むという画風はそれはそれで好き。
浮世絵とかはあえて平面な感じに描いている。
水墨画とかは奥行きを濃淡で描いたりするんだけれど。
浮世絵って強調の世界だから奥行きとかのバランスは後回しだ。
平面なのだから二次元で徹底する。
最近はCGが当たり前になったから奥行きを意識した画風が主流。
そんな時にペタッとした平面に落とし込んだ絵を見ると楽しくなる。
そう考えれば画力というのは一つの才能だけでは測れないんだなあ。

映像は元々立体のモノをアングルで切り出していく。
よく動画撮影で抜けとか言うのは、奥行きがあって遠景も映り込む場所ならより立体感が出るということ。
昔の白黒映画とかをよくよく見てみると遠景は絵で、画質も低いしぼやけているからぱっと見じゃわからなかったりするけれど。
絵作りというのに、色々なアイデアを盛り込んでいる。
スタジオ、面白かっただろうなぁ。遠景まで絵作りしてさ。
ロケならそんなことしないでもいいんだけれど、結果のリアルはどっちだっただろうか。意外に本物よりもリアルってこともあったはずだ。
特に星空とか月だとか雲だとかは、人間の目の印象とカメラレンズの実像が違いすぎるから、実はニセモノの方がリアルになったりすると思う。
入道雲って絵の方がリアルなんだよなぁ。

最近、解像度を上げるという言い方をする。
そんな言葉はかつてはなかったはずなんだけれどもね。
印刷とかのグラフィックの世界の用語だったんだから。
作品の解像度を上げるというのは、わかりやすさだろうか。
それとも登場人物のバックボーンを丁寧に細かい部分まで描くことかな。
分解して、分解して、再構築していく。
そうやってデティールを詰めていく。
結果として創作した人が思いもよらなかった箇所に共感を得たりもする。

ただ作品の奥行みたいなもの、立体的な部分。
それってまたきっと別のモノなんじゃないかと思う。
そもそも立体のモノを撮影するのだから、立体なんだけれども。
映像の奥行だけじゃなくて、作品そのものの奥行き。
どれだけ解像度を上げても、奥行きにはならないなって予感がある。
深いなぁ!みたいな言葉も流行っているけれど、そっちでもない。
勝負するならそっちなんじゃないかなぁって思ったりしている。

井戸の底を覗いても見えないような感じだろうか。
感覚的な言葉過ぎて伝わりにくいけれど。

村上春樹先生の小説によく井戸が出てくるのはIDのことだと解説している文章を読んだことがある。
登場人物は井戸の中で自分の無意識と対峙するのだという。
なんちゅうメタファーじゃい!わかるかよ!と思ったけれども。
そう思って読めばそう読めてしまうという。
本人がそれを意識していたかは別だけれど、間違ってないかもなと感じる。
解像度とか、深いとか、そういうことじゃない。共感とも違う。
むしろ直感とかに訴える何か。プリミティブな水の湧く場所。

立体的に存在する。
二次元に落とし込む。
表現手法は様々だ。
何を伝えるかなのか。
何を感じるかなのか。
何も否定せず、何も肯定せず。

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