見出し画像

やさしいなんてばかじゃねぇの

「ばかじぇねぇの?」
って言ったら、今はパワハラなわけです。
否定からはいっちゃダメなわけです。
アップデートしないと老害なのだそうです。
傷ついちゃうんだろうなぁ。
まぁ、そのぐらいのアップデートならするわけですけれど。

でも最近気付いたんですけれどもね。
「ばかじゃねぇの?」って言われたい子もたくさんいるのね。
たくさんいて、その中に何人か繊細な子がいる感じ。
そりゃまぁ繊細な子に合わせなきゃ駄目に決まっている。
決まっているんだけど、言われたい子もいる。
あとさ、褒めて欲しいのね。みんな。
よくやった!すげぇな!おめでとう!ってさ、言って欲しい。
褒めて伸ばすんだって。そうか。

僕はさんざん駄目だ、もう一回やれって怒られた人から。
一生で一度だけ、よく頑張ったよって褒められたことがあって。
その時は涙が止まらなくなったのです。
だから簡単に褒めちゃいけないんだなって思っているところがあって。
もちろん成功体験を重ねて成長していくことは理解しているのだけれど。
それでも簡単に褒めてしまうことがかえってマイナスになることもあるんだよなぁと思っているわけです。
だって毎回褒められていたら、それが当たり前になっちゃうのが人間ってものだからさ、たまに褒められないと、なんでだよ?みたいになったりするものです。
まったく褒めない人とかはどうかと思うけどさ。

でね、なんとなく最近の若い子の聞いている音楽の歌詞を読んだの。
まぁ詩的表現とかは変わらないし、美しい言葉を探していたりする。
口語体の歌詞をみつけだそうとしているのも、今も続いている。
でね、ちゃんとストレートな言葉の歌詞もわりとたくさんあってさ。
最近は「お前」って言葉はダメだって聞いてたのに、「お前」を使っている歌詞なんかもあったりするのね。ラップのリリックなんかでもストレートなのは一定数の支持を得ている。
あれ?なんだ、あんまり変わってねぇじゃんって思って。
そりゃあ、そうだよなぁって。そんなに変わるわけがない。

だから一定数はストレートに言って欲しい若者がいるのだよ。
ただそれは見た目じゃわからないし、言葉で言ってくれって言われたって実際のところは目に見えるものじゃないわけで、急に泣き出したりするかもしれないし、場合によっては酷く精神的にくらっちゃうかもしれない。
やっぱりだからと言って社会という場では繊細な子を切り捨ててしまうような昔のやり方というのは今じゃ通じないよねっていうのがアップデートなんだろうなとは思う。
歌詞とかはその逃げ道になっているところがあって、歌だからフィクションだからっていうところでフィルターがかかっているから、かえって自由にストレートな言葉を使えるようになっているんだなって思ってさ。

でもどうなのだろうかって。
僕はね、繊細な人に合わせるべきだって思っているよ。
思いつつ、ああ、この子はちゃんと言って欲しいのかもなって感じることもある。でも言わない。というか、言ってあげない。
それはそれでなんだか不幸なことだなぁって思ってさ。
ある種のコミュニケーション不全を起こしちゃっているよなぁって。
特に向上心のある子たちは、色々指摘して欲しいと思っていたりしてさ。
なんかあったらいつでも言ってください!みたいなことを言われる。
ああ、なんか変わらないんだなぁと思いつつ。
でもコミュニケーション不全は起こしたままだよ。
自分の思うとおりにやればいいよみたいなね。

傷ついてしまう人を見過ごすわけにはいかん。
昔は肌が合わないだけで、君に合う場所があるよだったけどさ。
もうここは合わないというのは許されない。
周りが改善するべきだっていうのが正しい。
だから思っていても言わないわけです。

「ばかじゃねぇの?」って。
大丈夫。そういう歌があるから。多分。

ほんとうの優しさってさ。
ああ。ああ。
やさしくありたいのになぁ。

投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。