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水たまりが消えた

昔の漫画でよくあるシーン。
車がバーーっと飛ばして水たまりの水がかかる。
やれやれ、ついていないなんていうくだりだ。

実際にそんなことはよくあった。
大きな水たまりがあって車がよってくるだけでやばい!みたいな。
漫画みたいに頭から水をかぶるようなのはマレだけれど。
下半身が泥水まみれになることも実際にあった。
走り去る車に、ふざけんな!なんて叫んだり。

これがどんどんファンタジーになりつつある。
実際、車道の水たまりを見かけることがなくなった。
徐々になくなったからいつの間にかなくなったという感じ。
路面をみれば相変わらずのツギハギだらけなのにだ。
ガス管工事、下水道工事などなどを繰り返してアスファルトは補修を繰り返したツギハギになっていたりする。
それなのに雨が降っても水たまりが出来ていない。

雨上がりの次の日にさ。
水たまりにアメンボがいたわけです。
子供の頃は、どこから来たのか不思議でしょうがなかった。
だって普段はみかけないんだから。
それに水たまりは川や池と繋がっていないんだもん。
どうやって、いつここに来たのだろう?羽もないのに。
不思議だなぁと思いながらアメンボを見てた。

水たまりがなくなったのは徐々に技術革新してきたからだ。
路面の整地でタイヤ跡による経年劣化に対する耐性が強くなった。
アスファルトそのものが水はけ出来るような素材に変化している。
かつては側溝だった水の流れも地中に切り替わっている。
雨が降ると必ず水たまりが出来ていたあの道もいつの間にかそうじゃなくなった。
車が近づいてきても、避ける必要がなくなった。

ここ15年ぐらい、局地的な大雨が降るようになった。
爆弾低気圧とか、スコールとか、線状降水帯とか。
昔の夕立とはけた違いの雨が、どかんと降り注ぐ。
あの道は通行禁止になるんじゃないか?なんて道もあったのに。
それも解消しつつある。
アスファルトは目に見えない小さな穴が空いていて、そのまま水は浸透して地下の水路まで一気に水が流れていく。
雨は激しくなったのに、僕たちはその激しさに気付かないまま水害を逃れている。
近所の川に流れ込む側溝の水量をみて初めて気付くぐらいだ。

水たまりがなくなった世界。
アメンボがいなくなった世界。
それは良くなったということなのだろう。

だが知るまい。
雨上がりの晴れの下。
青空が映った水たまりが続く道の姿を。
水たまりをよけながら自転車で蛇行する楽しさを。
湯気が立ち上る道路を。

道路が整備されることは素晴らしいことだけれど。
僕らの心の中には水たまりもアメンボも消えない。
ああ、僕にとってのあの思い出は水たまりのようなものなのかな。
ああ、僕の心にもアメンボがやってきてくれないかな。
世界は綺麗になっても、人間そのものは不定形なままだ。

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