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なんか普通に言えない言葉

なんかね。
日本という国が嫌いだとかさ。
もう出ていきたいとかさ。
見かけた。
そっか。そうなのか。
なんだかそんなに未来を感じないのか。
と、とても寂しくなった。

僕が子供の頃、愛国という言葉はあまり良い印象ではなかった。
戦中戦後世代が大人だったし、どうしたって戦時中の愛国という言葉と結びついてしまうところがあった。
右翼の街宣車とかが愛国愛国うるさかったし、ビラなんかも貼ってあった。
ああゆう連中が使う言葉なのね、愛国って思っていた。
まぁ、今もそういう前ほどじゃないにしても雰囲気は残っている。

ただもし日本が厭でどこかの国に行ったとしてもさ。
ほんとうに移住先の国のことが好きになるのかなぁって思ってさ。
正直、どの国にも良い所も悪い所もあると思うのです。
もちろん、日本には日本の息苦しさが確実に存在している。
ずるい連中とかもたくさんいるしさ。
だけど日本にも良い所がたくさんあるわけで。

でね、海外の観光客が日本を絶賛していることを喜んでいるって少しいじっていたりしてさ。
なんかそのことにすごい嫌味な感じを受けたというか。
海外から褒められることは素直に喜んでよくないかい?だめ?
そりゃ、盛ってくれていたりもすると思うのだけれども。
褒めてくれたことをそんなに斜めから見るのがむしろ日本人的じゃない?

僕はですね。
やっぱり自分の生まれ育った国を愛することが出来ないと、他の国の良さみたいなものって結局わからないんじゃないかなぁって思う。
ルーツなわけだからさ。自分自身の。それは基準ということでさ。
もちろん、国体であるとか政府であるとかを指しての愛国なんて僕はこれっぽっちも持っちゃいませんけれども。ちなみにそれについてはどの国に対してもだけれどね。世界中どの国の政府も好きじゃない。

そこまで卑下してさ。日本人であることが恥ずかしいとかさ。
出ていきたいとかさ、それをわざわざ世界中に向けて発信してさ。
それは実は自分自身に対してあまりよいことじゃないなぁって思って。

まぁ、中にはいるよ。
どうも日本という国が肌に合わないっていう人は。
僕の周りだけでも思い出すだけで何人も顔が浮かぶ。
でもその人たちも嫌いみたいな表現ではなかったなあ。
生活リズムのようなものの問題だったなぁと思う。
まぁ、かつてはイデオロギー的に離れていった人もいただろうけれど。

肯定感ってそういうことなんじゃないかなぁと思ってさ。
自分を肯定して生きていくこと、簡単じゃないけれども。
寿司食って、みそ汁のんで、日本人で幸せじゃーから始まるんじゃないかなって思ってさ。
自分のルーツみたいなものの肯定が自己肯定に繋がっていくというか。
日本が嫌いって言い出すと、最終的に自己否定にしか向かわないんじゃないかって思う。

もちろんそれにつけても未来が見えないのは問題だけどね。
スーパーで弁当に20%オフのシール貼ってあって得した気分になってるすぐそばで数千万円の本を買いましたとか、ほんと、目の前にいたらあれだけんな!みたいな気分になるもの。
でもそういう時にね。大人がいけないとかさ、世の中がいけないとかさ。
そうなのだろうけれど、そっちに思考を向けるのは勿体ない気がする。
あいつらバカだなぁって言って、あいつらよりも豊かに暮らすことが抗うことになるのだと思っている。
単位が大きくなりすぎているような感覚。
国とかちょっと大きすぎる。せめて街。
でももっと小さな好きを集めて肯定した方がよろしい気がするよ。

めっためたに敗戦したこの国では愛国という言葉は難しい。
まぁ、ひねくれた国だぜとは思うけれども。
それでもなんとなく僕はこの国は好きですよ?と普通に言いたい。
なんか新しい言葉ないのかなぁ。ラブコク?


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