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僕たちはいつまで経っても過程にいる

安定しない気候。
警報級の雨まで控えているとか。
皆様、体調にお気を付け下さいな。

まる子ちゃんの声が変わりましたね。
僕たちは既にドラえもんやルパンやサザエで体験済みです。
多少の違和感など織り込み済みです。
むしろ、多くの人が絶賛されていた。
声というのはキャラクターのかなりの部分を占めるのだと思います。
だからこそ、声が変わるというのは衝撃なわけです。
今まで声が変わることで何度か悪い方向の話題になったと思うのです。
しかし、今回はそうならなかった。
むしろ歓迎して感謝していた。

こういうことってあるんだよなぁって思います。
喪失感のようなものは変わらずにあるわけで。
今までを思えば寂しさが強い。
それが初めての体験だと、つい違和感を気にしてしまう。
ところが、何度か体験していくうちに感じても口にしなくなる。
全てを失ったわけではないのだという希望に目を転じ始める。
喪失感との向き合い方をいつの間にか無意識に覚えている。

そういうのってなんか言葉ないのかなぁ。

そういうなんていうのか自浄作用的なぶり返し。
違和感しかねぇよ!みたいなことをあまり言わなくなった感じ。
そういうことが何度か起きて初めて成熟なのだと思うのです。
SNSなんかもそうで最近はそういう自浄作用てきなものも見かけます。
誹謗中傷は未だになくなっているわけでもないのだけれど。
こういうのは良くないんじゃね?っていうカウンターも増えている。
そういうのを見かけるたびに、ああ、単に未成熟なだけなのかもなぁって思ったりもするわけです。
ちょっと前だったら炎上したような案件が、炎上することを話題になっていると喜んでいるような人がいることを知ってからはかなりの数がスルーされるようになっているよなぁって思ったり。
善意あるコメントが支えていたり。

多分さ、人は愚痴のようなものだとかさ。
ネガティブなことを口にするものだと思う。
それを悪いと断じるのはちょっと違うというか。
誰でも愚痴ぐらいこぼすし、誰かに聞いて欲しいことがある。
ただネガティブな言葉っていうのは相手や場所を選ばないといけないだけ。
ほんとうは気のおける奴と笑いながら愚痴るぐらいがいいんだけどさ。
ちょっと弱音みたいなものも言っていいんだと思うの。
実はそれ自体はネガティブでも、それを通じてポジティブになることだってあったりするわけだから。
そのポジティブへの変換のようなことを割と見知らぬ誰かにも求めちゃってるだけなのかもなぁって。
でも色々な経験があって自浄作用があって少しずつ変わっていってる。

叩くって言うじゃない。
今でもまだまだあるけれどさ。
そういうことは徐々にみっともねぇよってなっていくんだろうなって。
完全にはなくならないだろうと思うよ。
それに叩いた人を叩き返すっていうようなことは起きるだろうしさ。
それでも少しずつ良い方向に向かっているんじゃないかなぁ。
そんなことはないかいな?

でもなんか良かったなぁって思ったんだよ。
俳優さんの努力とかももちろんあると思うんだけどさ。
まる子ファンたちが歓迎して感謝してっていう感じがさ。
ああ、なんか良いねぇって思ったんだよなぁ。

いつか悪いことを書いた人が自分を振り返った時に。
なんて恥ずかしいことをしてたんだって赤面するような。
そういう方向に徐々に進んでいけばいいのかもなあって思ったよ。

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