イメージの解体



高度な社会において、ほとんどの人は目の前にある生活ではなく「人生とはこういうものだ」「生活とはこういうものだ」というイメージを生きている。

例えば、目の前に花があるとき、人はその花を見ているようで見ていないことがある。人は花の香り、色彩、触感などをもってそれが「花である」と認識するが、そこに生まれているのは「花そのもの」ではなく「これが花というものだ」というイメージだ。

そして「花とはこういうものだ」というイメージが確定的に出来上がったとき、花の香り、色彩、触感といった情報は徐々に省略されていくことになる。なぜなら「この花は見たことがあり」「このあと何度も見ることになるから」だ。



「生とは誰にでも平等に与えられるもので、それはおおよそ80年、人によっては100年をも超えて供給される。」

医療、福祉が発達した社会でこういった考え方が普及するのはごく自然なことだ。生きているというのは当たり前なことでなければならない。なぜなら「そうでなければ平等でないから」である。

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