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07/04 1000年の意味

好きな男とはこじれ、山梨では財布をなくし、おまけに足に謎の帯状疱疹状のブツブツ(帯状疱疹ではない)ができまくった状態で今から韓国に旅立つ。

向こうの出版社からは滞在中のスケジュールが何も送られてきていない。こんな状態で今から旅立つのか。己の存在が世界一小さく見える月曜日、こんばんは。菊地成孔です。嘘です。小野美由紀です。自分とは別の、何か大きな存在になりたいと思っても小野美由紀から出られないのがもどかしい。

私はいつも自分よりも進みの遅い人を見るとイライラして、ついてきてくれないならもういいよとすぐに自ら関係性を切ってしまうのだが、切った後でいつも、そういう人の方が実は自分より何倍も進んでいたことに思い当たったり、自分の知らないことを何倍も知っているのだなということを思い知って常に後悔する。後悔の多い人生だ。こと人間関係においては。村上春樹のスプートニクの恋人にも「良いものはゆっくり育つ」という一文があるけれど、ゆっくり育つ良いものに目を向ける気持ちが少ないのかもしれない。早く成果を出したくて、いつも焦っている。焦って結果に辿り着こうとする。それで後で取りこぼしたものの多さに気づいて愕然とする。それを鋭さと呼ぶか、痩せた細さと呼ぶか。

山梨で見た、1000年生きてる杉の木はすごかった。なんていうか、どおおん、って地面にめり込む形で立ってた。ものすごく太いってわけじゃないのに、確かな力強さがあった。エネルギーがそこに濃縮している感じ。見ているだけで脳の磁場が狂って天地がわからなくなる感じ。

生えているのは、山梨の、標高800mの山奥の、観光客も滅多に訪れないという秘境にある小さな神社。そこに暮らす作陶家の人を訪ねたのだ。

その人は「ここら辺はね、1000年前にあったものが、なんでもあるよ。今、東京にあるものは何にもないかもしれないけどね。だって東京ってったって100年単位の話だろ?ここはさ、1000年スパンなんだよ。1000年で考えるの」と言っていた。1000年!私にはその重みがわからない。大きすぎて掴みきれない。圧倒的な距離と空間の容量。瞬きしたら1年。あくびをしたら100年。宇宙からしたらそんなもので、1000年だって赤ちゃんだ。それを知るには観音菩薩の視座が必要。時間と常にイチャイチャしている気がしてるのに、私は時間を何も知らない。

その人の工房には、雲龍さんという笛を吹く音楽家が居た。昔岡本太郎さんとワタリウム美術館でインスタレーションをしたほどの、その筋では有名な方が偶然遊びに来ていたのだけど、その人は「1000年残る笛」を作るつもりで演奏していると言っていた。1000年残るもの・・・。

私は都会に暮らして、毎日色々なものを一回きりで消費して、だんだん、明日には消えてゆくもの、にしか価値を感じられなくなっている。時間を感じる感覚が磨耗している。自分の価値すらも、明日には消えゆくもののように感じている。明日には消えていくものを、一生懸命作って、それで一息ついて、また、次の日も、その次の日も、明日には消えていくものを作っている。

私がもし、今からでも、1000年残るものを、作ろう、と思ったら、果たして作れるだろうか?

1000歳の杉の木は、近寄って触れてみると、柔らかかった。私はもっと、1000年も残るものって、厳しくて、頑なで、他を押しのけて圧倒するような感じ、どうだ、すごいだろ、って立っているものだと思っていた。でも、違った。1000年杉の表皮はとても柔らかくてぽろぽろで、赤ちゃんの肌みたいだった。抱きしめるとお母さんみたいだった。静かすぎて、自分の心臓の音が木の幹に伝わって、耳から聞こえた。神社の宮司さんが、その杉の木の皮を煎じて飲むと体にいいんだよ、というのでほんのすこしだけ剥がして持って帰らせてもらった。苔むした表皮はふわふわっとして手の中で溶けてしまいそうなほどだった。

1000年残るものは、柔らかくて、優しいのだ。自分にも、他人にも。

優しいことと、強いことは、同義語だ。

私も、もっと優しい人間になりたい。

ありがとうございます。