見出し画像

どうせこれはただの会話


6月に入ったらカッコつけてものを書くのが嫌になった。多分、季候のせいだ。

絲山秋子の「イッツ・オンリー・トーク」を読み返す。

この小説を初めて読んだのは8年前で、香川県の仏生山温泉に入りに行った時のことだった。

仏生山温泉では古本の販売をしていて、お風呂に持ち込みも可だ。すごい温泉だと思う。

しとしとと雨が降っていて、私はほとんど存在を感じられないようなぬるい炭酸泉に浸かりながら、文庫本の表紙が天井から落ちる雫に被弾しないように手で覆いながら読んだ。

お風呂の中で、一冊まるまる本を読むのは初めてだった。

だからなのか、この小説はなぜかしとしとと降る雨の中で読んでいるような気持ちになる。大雨じゃない。サラサラとした小糠雨のような。

イッツ・オンリー・トーク。

男とのセックスも政治も生きることも、ただの会話みたいなもの。

そう言う主人公の言葉が聞こえてきそうだ。

この小説自体が、ただの話だ、そう言っているみたいに、文庫本は薄ひらべったく、読み口はあっさりしている。メンソールのタバコみたい。でも、この物語を読んだという事実を忘れることはできない。多分、日々の暮らしと同じ濃度で描かれているからなのだ。トースト一枚分の軽さ。

生きるってのはただの会話なのだ。そう思うととても心が軽くなる。

私もこれくらい、軽くあっさりとした気持ちでものを書きたい。

まだまだ、カッコつけてしまう。腹一杯にたまる、鍋みたいなものを書きたいと勢い込んでいる。


ありがとうございます。