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「自分の世界に入れ」と師は言った


琉球空手を始めて4ヶ月になる。

きっかけはこのサイト「Ko2(コツ)」の琉球空手についての記事だ。

(ちなみにバックナンバーはnoteで読めます)


かいつまんで言うと、琉球空手は「頭で考えるよりもまず動く」ことを徹底的に叩き込む武道だということが書かれていて、

この時、小説のこと(というよりも編集者さんとの関係性について)ハゲるほど悩んでいた私は

「今の私に必要なモノはこれしかない」と思い立ち、試しにググったら自宅から徒歩1分のところに道場があったのですぐに申し込み、次の日から通い始めた。

空手は楽しい。

まず、何も悩まなくていい。本当に言われた通り、先生の行う型を真似するだけだ。何かをする前にいろいろ考えてしまう性格の人間にはぴったりである。

その時出し切れるだけのパワーで動いていると、何かがすっと身体から抜けて行く感じがある。

そのうち、実生活にも変化が現れ始めた。

考える時間と、何も考えずに行動する時間(頭のモードと体のモード)の切り替えが早くなった。

深く眠れるようになり、余計なことに惑わされなくなってきた。

空手の基本の姿勢ではまず、足の指でぐっと力を入れて立つことが必要不可欠なのだが、この足の形に体が慣れると、体軸ができて、ささいなことに心が揺らがなくなった。

何事においても、まず、中心は自分であり、自分の人生の充実が何よりもまず先立つ、そういう感覚で日々を過ごせるようになってきた。


道場の先生は御年70歳の達人で、板を指先だけで割れるのは日本広しといえどもこの人だけであるそうだが、

この先生が毎回、稽古の際に必ず言うのが

「自分の世界に入れ」ということである。

「稽古の最中は自分の世界に入れ。

日々の仕事、人間関係、瑣末な煩い、そういったものと自分を切り離せ。

目の前の、今から行う動作だけに集中しろ。自分とだけ戦え」

今ここで己に問われるのは、目の前のことにどれだけ真剣に取り組めるか、それだけであり、

周りがどう、とか、生活がどう、とか人間関係が、とか、社会環境が、とか、そういったことは関係ない。

評価も外部のアドバイスも地位も立場もこれまでの実績も実力も経験も関係ない。

外部から与えられる正も誤も問わずにただただ自分の世界に入ること、研鑽の道筋はそこからしか始まらない。

そういうことだ。

この「自分の世界に入る」ということは結構難しい。

私たちは集中力があまりに切れやすい環境に暮らしている。

0.1秒もあれば、ワンクリックで外の世界に接続できてしまう。

アマゾンがリコメンドする”欲しいもの”、怒りを喚起するニュース、友達からの気が乗らない誘い、うんざりするフェイスブックのフィード。

欲しいもの?それ本当に欲しいものか?

あるいは、怒ってる気分にさせられてるだけじゃん?

そのイベント本当に行きたい?

本当に「いいね」って思ってる?

……そういう「もう一人の自分」のツッコミもむなしく、私たちはいろんなものに引っ張られて、心をかき乱される。「自分の世界に入る」ことが、どんどん下手くそになってゆく。

子供の頃、夢中で遊んでいた時にはあんなに簡単だったのに。


そういったものをいかに切断して、自分の世界に入るか、

「今、ここ」にある、己のやりたいことに集中するか。

それだけが、人間の成長と生産力を左右する。そう、先生は教えてくれているような気がする。

私はスマホにネット回線(4GLTE)を入れていないのと、フリーランスであまり外部からの連絡に左右されない環境で生活しているので、ペースを乱されることは多くはないのだが、集中力というとこれがあまり自信がない。

頭の中は常にいろいろな物事でパンパンで、余計なことを考えている。

例えば

「これは編集者さんに面白いと思ってもらえるかな?」とか

「他の作家と言っていることがかぶっていないだろうか?」とか

「この前の記事がイマイチ読まれなかった・・・」とか。

前回、「求めることを求めずに、書きたいものを書く」という記事を書いたが、

そういった余計なことに振り回されるのは、外部の物事に常にとらわれているからであり、自分の世界に入れていない証拠である。

そうしたことは、本当は全部、妄想なのだ。

もっと言うと、「自分の世界」以外のものは、全部妄想である。

頭ではわかっていても、妄想を完全に頭から掃き捨て、クリアな状態で居続けるのは難しい。

だけど、空手で目の前の動き、先生の動きに合わせて無心で体を動かしている時、

「明日もし自分が死んだら、この動きをするのはこれが最後なのだ」

と思うと、心の底から力が湧いてきて、全身全霊で一つの動きに打ち込める瞬間がやってくる。

「突き」を5000回もやるとさすがに腕がもげそうになるが、

3000回くらいから体の余計な力みが抜けて、

フッと気持ちの良い一手が打てる瞬間がある。

その瞬間、快楽物質が筋肉から脳に向かってドバっと放出され、

意識は大気圏を超えて宇宙空間に突入する。

その状態は、かなり楽しい。

「自分の世界に入る」には集中力が必要だし、その集中力を身につけるために必要なのは、

「その行為を心より楽しむ」ことなのだ。

楽しむためには心から「それができるようになりたい」と思うことだ。

人間は「できないことができるようになること」に快感を感じられる生き物である。

できないことができるようになる、それには、人から強制されて行うのではだいぶ効率が悪い。

自分の世界に入りながら楽しんで行うのと、人に言われてやるのとでは、何倍も効率と精度が違う。

成長を最大化するには、「自分の世界に入る」ことが必要不可欠なのだ。

そして、さらに、その「楽しい」状態に自分を持ってくるためには、まずは正しいとか正しくないとか考えずに、たくさん数をこなしたほうがいい。「これ、意味あんのかな」とか思わずに5000回突く。5000回突いた後の感想は、5000回突いた人間にしか分からない。

……長々と書いたけど、そういう教えを一つの体の動きに濃縮したのが琉球空手の「型」であるし、そこから引き出せる無限の教えをシンプルな一文に凝縮した言葉が

「考えるよりまず動け」なのだろう。

外部の様々な誘惑にとらわれず、接続を切り、まず無為なるままに動け。

(それは多分、他者や俗世と関わらずに孤立するのとは違う。妄想に左右されることなく、現実の中で、相手と共存する形で自分の動きたいように動けることを一番の目標とせよ、ということなのだろう)

そう思い始めると、生きることも、書くことも、ますます楽しくなってくる。


頭でっかちな人には、琉球空手、オススメです。


(photo by 岡村麻美)

ありがとうございます。