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ルーヴル美術館に足を運んでみる

先日、弟に会ったついでに、以前の職場の同僚と会った。
コロナ禍になって、ゆっくり会っていなかったので、3年ぶりくらいかな?

あの頃は、仕事して、夜は飲みに行って仕事の話をして、休日は研修会に行って、仕事に費やす時間が大半だった。
その同僚は、私のどうしようもない恋愛の話をいつも聞いてくれて、私のかわりに怒ってくれて、「あなたが幸せならそれでいいんだよ」といつもそばにいてくれた。

そんな友人とルーヴル美術館展に足を運んでみた。
First Love 初恋にどどどどハマりしている私は、満島ひかりさんが音声ガイドをしているからというそんなミーハーな理由で行きたかっのだ。

ただ、事前のWebチケットを購入しているわけではなく、当日にホームページを開いてみるとWebチケットは売り切れている。
どうする?違う美術館にする?でも、私は満島ひかりの声が聞きたいんだよね。
行って入れなかったらそのへんでお茶すればいいか。
行き当たりばったりでもお互いにストレスじゃない、この波長が合う感じはとっても楽。
行ってみると、当日券はスムーズに買えた。
うちらラッキーだね!とそれだけで嬉しい楽しい。

ちょっと混んでたけど、満島さんの声が本当に良かった。
時代とともに愛を描いていて
時代によって、愛の捉え方、愛を注ぐ対象がさまざまだった。

愛ってなんなんだろう。

私は、夫に対する感情として、好きというより
「愛おしい、愛している」
と表現するほうが適してるなと思う。
それは恋人のときから。
夫の表情や仕草ひとつで幸せを感じられる瞬間。その瞬間に愛おしさを感じるのだ。

ただそれはいつもではないから困った。

本当に、目の前からいなくなってほしいと思うほど憎たらしい瞬間もあって

でも、そのいっときの感情は
すぐにどこかにいってしまう。

愛するとは厄介なものだ。

その職場の同僚はだいぶ歳の離れた恋人がいる。
その同僚の今までの仕事に対する姿勢やプライベートのアクティブさから考えると、歳の離れた恋人との暮らしは、少し窮屈なのではないか?と私は思っていた。

でも違った。
彼との暮らしのタイムリミットを考えると今は彼と一緒に過ごすことが何よりも優先順位が高いらしい。

彼女が自分でその選択をしているなら、
彼女はそれで幸せなのだ。

他人の幸せの尺度は
私の幸せの尺度でははかれないのだ。

愛するということもおんなじなのかな?

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