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僕の中の一番すごいプロ野球選手



写真は、阪神タイガースが2003年に優勝した時のセブンスター。

「阪神滅多に優勝せーへんから、プレミアつくで〜」と、浅ましい考えで残しておいたものだ。
メルカリで2個500円で売れているのを見ると、自分の先見の明のなさに恥ずかしくなるのだ。

だけども、そんな僕でも大阪で過ごした少年時代は例外なく阪神ファンだった。


昭和60年。
この年、阪神タイガースがバース・掛布・岡田を擁し日本一に輝き、誰もが野球に熱狂していた。

僕の育った大阪狭山市は、いまでこそ大阪のベッドタウンとして子育て層に人気だが、まだその頃は狭山町という名の小さな町で、田畑や空き地も数多く残る町だった。

僕らはその町に初めてできた分譲マンションに、堺市から引っ越してきて住んでいた。
11階建てで総戸数230戸。田んぼの真ん中に要塞のようにそびえ、今思えば地域からの建設反対運動があったことは容易に想像できる違和感だった。

地元のだんじりに遊びにいった時に、「○○ハイツの子はあかん!」とお菓子をもらえなかったりしたのもそういう理由なのかもしれない。

ただ、マンション内に同級生だけでも10人ほどいるくらい同世代のファミリーが多く、そういった理由からも、同じマンションのファミリーや友達とはある種の仲間意識があったように思う。

以前の投稿で出てきた国ちゃんもこのマンションの友達だ。

この頃の子どもたちの遊びといえば、まだサッカーは今ほど普及しておらず、野球や三角ベースが主流だった。
夕方暗くなる頃、お母さんたちの「帰ってこい」の号令がかかるまで夢中になっていたのを思い出す。

そんな野球仲間の中に畑(はた)という友達がいた。
彼もまた同じマンションの同級生だ。
みんな○○ちゃんとあだ名で呼びあう中、なぜか彼だけ苗字の「畑」。野球選手が「掛布」や「岡田」と苗字で呼ばれるリスペクト感に似ていた。

ハーレイ・ジョエル・オスメントくん似で、すこし柔和な表情や舌足らずな喋り方からは想像できない、全能力を運動神経に全振りしたような、スポーツ少年だった。

子供会対抗リレーの代表は、僕らの学年は常に畑。
運動会では畑の独壇場、野球をすれば畑のいるチームが必ず勝ち、もはや同級生に畑の投げる球を打てる者はいなかった。

完全なるカリスマ。
空き地野球界の至高の存在だった。

ある日、いつものように空き地で野球に興じていながら、僕らはフェンスの向こうにへばりついている少年が気になっていた。

「お〜い、へたくそ〜」

バッタバタと次々に僕らから三振を奪っていく畑へ、その少年は野次を飛ばし始めた。

僕らはみんなキョトンとしていた。

「は?何言うてんねん?畑やぞ?w」
「仲間に入れて欲しくて言ってんちゃうん?w」

なんて僕らは相手にしていなかったが、畑はこれまで言われたことのない「へたくそ」という言葉にカチンと来ていた。

「誰やねんお前、勝負しろや!」

少年は「待ってました」と言わんばかりに空き地に入ってきて、バッターからバットを奪い、線で囲っただけの打席に入った。

「あーあ、知らんで〜」

誰もが畑の速球にかすりもせず、泣いて帰る少年の姿を見ていた。それくらいに畑の凄みを知っており、野球…それもピッチャーとしての素質、あらゆる運動能力を与えられた全知全能の…

カキ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!!!!!!

見たこともない速さの弾道で、僕らの軟式ボールは空き地の彼方へ飛んでいった。
探しても見つからないだろうということは、一瞬で予想できたほどに。

「ボールってあんなに飛ぶんや」

ゴーカートで競ってたら、横をF1が通り過ぎたくらいの驚きとレベルの違い。
少年は何か言いながら帰っていったが、呆気に取られる僕らも、崩れ落ちる畑にもその声は届いていなかった。

誰かがぽつりとつぶやいた。
「あれ、6年の西浦やん」

翌日そのニュースは学校中を駆け巡った。
「畑が打たれた!!」
「畑が打たれるわけないやん、あほか!?」
「誰や打ったんは!?」

西浦は僕らより1学年上の6年生だったが、あまり彼と親しくしている者は少なかったように思う。
学校や地元で野球で遊ぶことはほぼなく、当時大阪にあった南海ホークスのユースチームみたいな野球クラブに所属していて、プロ野球選手を目指しているという話は聞いたことがあった。

あらためて、この小学校にすごい奴がいると、子どもたちの中で騒然となったのを覚えている。

畑を1球で仕留めた西浦は、その後大阪の名門・上宮高校へ進学。
メジャーでも活躍した黒田投手を控えに回して甲子園にも出場し、ドラフト5位で日本ハムに入団。
現役は長くはなかったが、あのレジェンド落合博満から4番の座を奪うほどの活躍を見せた野球選手となった。

ただそれは全く驚くべきことではない。それくらいできて当然だと僕らは思っていた。
なんせ、彼は俺たちの畑を打ったのだから。

僕の中では今でも一番すごい野球選手は西浦で、2番は畑だ。
(大谷が3番)

野球と言えば思い出す、知り合いでもなんでもないプロ野球選手の幼少期の話である。

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