私はいま、大きな幸せのなかにいます

"わかってくれない"というフラストレーションを昇格する最善の方法は、誰かのそれを"わかる努力をする"事なのかもしれない。

他人なんだから、わからなくて当然。そんなの、頭では分かっている。

でも人間は欲張りなもので、もっと"見てほしい"し、誰よりも"気にしてほしい"し、何より"認めてほしい"。

現に私もそうだ。

こんなに頑張ってるのに、誰も気にしてくれない世の中はおかしい。と、よく卑屈になる。

でもその時点で他の誰かのフラストレーションには気づけていないし、残念なことにいつの間にか"理解してくれないおかしい世の中"の一員になっている。

いわゆる、"誰か"の言うところの、悪い大人。

私だけは大人な子どもでいたい。

それに気づけた私ができることは、私のような人を増やさないことだ。

"誰もわかってくれない"、"わかろうとしてくれない"と苦しみ、他人を責め、自分を責める哀れな大人を。

ひとり部屋に篭り、外の世界に対して思っていたこと。

誰もわかってくれない。誰も寄り添ってくれない。どうせ私なんか必要ない。やりたいことも、できることもない。生きていてもしょうがない。

人生なんてままならなくて、自分のこともわからないのに、他人のことなんかわかるはずない。

でも、わかろうとすることで、人の心はきっと動かせる。

分かち合えない切なさを、きっと共有できる。

他人に求めず、人に対してできることを考える。

わかってもらえない人は、誰かのそれに気づく気概があるということ。

悲しみからも、喜びは生まれる。と思った。


ゆとり世代。自信もなければお金もなく、毎日辛がってます。生きづらい人と猫の味方。