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今日一日を最高の一日にするためには、自分がいい気分になるだけでは足りない

1週間前に、迷ったときに自分の中で自分に語りかける言葉として「今日一日を最高の一日に」というフレーズを決めて、ことあるごとに語りかけている、ということを書いた。

このnoteのあと、毎日投稿をしている。1週間が経過した。
共通するテーマは「今日一日を最高の一日にするために」

そういうテーマで繰り返し書いてみようと思った。

2日前くらいに、「今日一日を最高の一日に」というフレーズをはじめて頭の外に表出したことで、このフレーズに対する見え方に変化が起こり、このフレーズを含めた問いを、もっと掘り下げて考察してもいいかもというようなことを書いた。


今回はその考察の中で、思い浮かんだある一つの問いについて。

それは、「今日一日を最高の一日にするためには自分がいい気分になるだけでは足りないのではないか」という問いである。

つまり、【相手もしくは他者】も「今日一日が最高の一日だ」と思えることが、【私】にとって「今日一日を最高の一日にするために」必要なのかもしれないという視点である。

考えてみれば、自分だけが楽しい思いをしている一方で、周りがつまらなそうにしていたら、その日は「最高の一日」にならないのは当たり前だ。

しかし、この問いは、なぜか自分の中で自分だけで「今日一日を最高の一日に」とつぶやいているだけでは思い至らなかった
noteを通して頭の外に表出したことではじめて現われた発想だったわけである。

相手の「最高の一日」を考えることも、実は、私が「今日一日を最高の一日に」するために必要な考えかもしれない、ということに思い至ったとき、例えば、他者論やコミュニケーション論的なものに対するとらえ方もこれまでとは変わってくる気がした

この点、コミュニケーション論的な本の感想は、前にnoteでどっかに書いた気がする(が、なんだったっけ、まだ書いていないような気もする)。

このあたりを改めて検証・考察すると「今日一日を最高の一日に」というフレーズに対する解像度はぐっと高まるのではないか。

つまり、「今日一日を最高の一日にするために」という視点で、すでに読んだ本やこれから読む本を捉え直してみることで、インプット・アウトプットの質も解像度も上がってきそうな気がしてきた。

そんなことに思い至ったのも、この1週間の毎朝投稿の結果なのかもしれない。

この気づきは、前に読んだ「読んでいない本について堂々と語る方法」のピエール・バイヤールの言葉でいえば、<内なる図書館>の蔵書を増やす感覚に近い気がしなくもない(あ、コミュニケーション論はこのときに触れていた笑)


あるいは、『思考の庭のつくりかた はじめての人文学ガイド』の福嶋亮大氏の言葉で言えば、《思考の庭》を手入れする感覚といえるかもしれない。


これまでのインプットに新しい視点での繋がりが見えてきた気がする。

まだ考察の一端でしかなく、他者論やコミュニケーション論と「今日一日を最高の一日に」の間の繋がりははっきりしていない。

けど、これから少しずつ思索をめぐらせたりさらに別の本をインプットをすることで見えてくるものがある気がする。

もしかしたら他の概念も「今日一日を最高の一日に」をいうレンズで見たら、もっと違う質で見えてくるのかもしれない。

もっと思考の庭が広がって、<内なる図書館>がより充実する可能性がある、そう思うとなんだかワクワクしてくる(勝手な高揚)。

ということで、「今日一日を最高の一日にするために」という問いを媒介に、いろんなインプットが繋がって再構成されていく感覚を楽しみながら、これからもっと思考の庭を広げ、手入れし「今日一日を最高の一日に」できたらと思いました、そんな感じです。


そんなわけで、「今日一日を最高の一日に

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