エピソード5「寝息とカラス」

俺は誰も信じない。
誰にも信じて欲しくないから。
神様なんて尚の事でえらい上の方から見定められるのなんかまっぴらだ。
どっか行けよ。切実に。

昼間、神様について聞かれたせいで寝付きが悪い。
珍しく俺も哲学的な波にやられていた。


まぁ、負ける気しないけど。


窓を開けて煙草に火をつける。
吐き出したはずの煙はすぐに部屋に舞い込み部屋中に広がった。

「悪いものに好かれるのか俺は」

少し可笑しくて、すぐくだらなく思えて窓を閉めようと手を伸ばした窓枠の先、一番近い電信柱のてっぺんに一羽のカラスがこちらを凝視してるのに気付いた。

すっと手を下ろして
「何見てんだ。おい」


恐らく絶対に聞こえるはずのない声量。


「…なんかイラつくな」
今度は喋らずに目を閉じて心で小さく呟いた。

「文句があるならここまで来いよ。黒いの」


再び目を開けると窓の外にあるアルミ製のサッシに一羽のカラス。


「…クッ…クワッ」


「…クワッて…おい…。
 カラスなんだからカーッて鳴けよ」


「………」
パクパクと口を動かしているが無鳴で羽をバサバサと上下に振りまた凝視。

「お前…気に食わないけどなんか気に入った。部屋に入りやがれ。
 …お前煙草吸うか?」

煙草を一本ボックスから出してカラスに与える。


「…クワ」


くちばしの先端で煙草をくわえて跳ねるように部屋に入ってきた。



「おぉ…じゃあ一本付き合えよ。…あと、あんま跳ねるな…。
 そいつ起こしたら焼くぞ。…焼かれるぞ」


カラスは部屋の隅に辿り着くとまたこっちを見てじっと見ている。

たまに煙草を落としては拾い遊んでいるかのような素振りを繰り返して。


「なぁ…俺ってお前から見たらどんな風に見えるんだ?」
漆黒のびーだまに問う。

「俺はお前がカラスに見えるんだが…当たってるか」


「クワッ」
漆黒のびーだまが答える。そしてまた煙草を落とした。


「俺さ…死ぬ事にも生きている事にもまったく興味が無くてさ。
 勿論、他人にも。
 死者を想って泣くって行為がわからないんだ。
 つまり…死への恐怖も。
 そもそも泣く事自体…わからなくて。
 人間らしくないよな?
 …わかってんだ。
 でも、出ないんだよね。涙。
 だから……
 泣いてくれたそいつの気持ちは嬉しくて…でも気持ちは上手く理解出来なくて…そんで俺はやっぱり泣けなくてさ…」


視線の先は布団に横たわる小さな体。
寝息も聞こえない程に儚く寝ている。


「今、生きてるのだって
 そいつが泣くからなんだぜ?泣くから死ねなくて、泣くから生きてなきゃ…って」

灰皿に煙草を置いて寝息をそっと撫でた。
指先に伝わるのは、確かな感触と温かな体温。
相変わらずあったけぇなぁ。子供体温とか言うんだっけ。こういうの。
撫でた事にすら気付かず、静かに健やかに寝息を立てている。


───今でも鮮明に思い出せる。
震える声と、見た事ないくらい怖くて、なのに壊れそうな瞳。

生きるってのがどういう事か、死ぬってのがどういう事かわからなくて、ただとりあえず、今生きてるからじゃあ死んでみようかと思い立った事がある。
無論、未遂に終わったから俺はここに居るわけだが。


───何してんの。


泣きそうな、怒りを抑えたような、固く震える声。
真っ赤な顔と真っ赤な目で俺を睨み付けて、バチンと派手に音を立てて、両手で俺の頬を挟んだ。

たちまち、そいつの両目から大粒の涙が溢れ滑り落ちていく。
とにかく驚いて言葉が出なくて、やっと「何で泣くのか」聞くと、そいつは大声で言った。

───馬鹿じゃないの…!!

目を白黒させる俺に向かって、そいつは大声でまくし立てたのだ。

───ほんとに大馬鹿!!
   そんな馬鹿な質問聞いた事ないわ!!
   あんた今何しようとしてたの!?
   ふざけんのも大概にしなさいよ!!
   いい!?二度とこんな事しないで!!
   こんな事あたしが──────



「───あたしが許さないから。ってさ。大号泣」

背後のびーだまに話し掛けながら、思わず苦笑する。
一言一句、間違いなく覚えている自分に呆れた。
他人に興味は無い。
それは間違い無いが、こいつはそういう何かを超えた場所に居るのだ。
認めたくないくらい、確かな事実。
その事実が、規則正しく呼吸をしている。
この目の前で。
この俺の目の前で。


「………あー…」


何とも言えない気分になて、事実から目を背ける。
部屋の隅に目をやれば、カラスが微動だにせずにこちらを凝視していた。
その足元には遊び切った煙草が、ボロボロになって散らばっていた。
「…何だよ。もう一本か?」
真新しい煙草をもう一本、カラスの足元に投げてみたが、やっぱり微動だにせずこちらを凝視している。
真っ黒で真っ暗な闇に溶けるように、ただ、静かに。
行き場を無くした煙草が、無造作に転がっていた。

「……何か文句でもあんのかよ」

自分の膝に頬杖をついてみる。
あーあ。
カラスなんかに話し掛けて何やってんだか、俺。
「…俺はもう寝る。出て行く時は、窓閉めていけよ」

モゾモゾと布団に潜り込んで眠れるポジションを探す。
「あ、そういえばカラスって死肉も食らうっていうけど俺は死んでないから食うなよ。こいつも。
 さっきも言ったが焼かれるぞ…」


ギリギリの意識の中で言葉にならないくらい小さな声で呟くと



「かぁー」

って鳴き声が部屋の隅から聞こえた。


「やればできるじゃねぇか……ありがとよ」







暫くして目が覚めた俺。
隣で寝息がまだしてて
まだ俺も生きている。

薄目で窓から空を見た。
全開の窓からは、麗らかな春空が今日もそこにあった。
「やればできねぇじゃねぇか…。
 だからカラスは嫌いなんだよ……」

部屋の隅は見なくても想像出来て、見たくなかったから目を再び閉じた。
寝息を聞きながらそれを優しく抱き締めた。




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