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限りなく純粋なものをつくりたい

 皆さん、お久しぶりです!
onyoroです。久しぶりに、これはぐっと集中して考えたいぞ、と思うことが最近あったので、お話ししたいなと。

 4年間の音大生活ももう終わりのきわっきわまで来ました。締めくくりには卒業試験というものがあります。ひとりで20分間、自由に曲を演奏してね、という試験。これまでも毎年、"後期実技試験"という名前で、同じような試験を経てきました。(もう少し制限時間が短い)

 毎年、私はこの試験に向かう時の自分の音楽があまり好きではなかったな〜と思います。出来る限り「自分の音楽をしたい」「いちばん純度の高いものをそのまま届けたい」と思うのに、他の人がどんな演奏をするかが気になってしまったり、技術的な部分をしっかりしなくては、という気持ちになってしまうから。
 内側から起きる動機に逆らわず、自分を大きく見せたりせず、ありのままを表現した、自由な音楽。そういうものが好きだし、そういうものこそ目指すところなのに、どうしても自分の内側ではなく外側ばかりが気になってしまう。ひとの音楽が自分のそれよりも圧倒的に美しく見えてしまって、焦って、ほんとうは大事にしたいと思っていたことを見失って、すぐに手放して。とりあえず形にすることに気持ちが向いてしまう。間違えて舵を切って進んだ先で、「ほんとうはちがうのに!」と何度思ったことか。

私の音楽は、私が守らなくちゃいけないと思う。
私にしかない良さは、私が信じてあげなくちゃいけないと思う。
私の自由は、私が作らなくちゃいけないと思う。

そうでなくちゃ、心の奥底にひっそりと住んでいる、ちいさな私は、安心して外に出てこられないのです。君は君がやりたいようにやっていいんだよって、そういう環境を準備してあげなくちゃ、臆病だから、外に出てきてくれない。

 普段ものを作っている時も、そう思います。本当に自分が信じられるものだけを、SNSに載せてゆかないといけない。たとえ、たくさん作れなくても。たとえ、近くで活躍している人を見て焦ってしまったとしても。慌てて何かに手をつけてはいけない。それは、心の奥のちいさな私がやりたいと言っていないから。ちいさな私がやりたいと言うまでは、じっと我慢して、すこやかに暮らす。すこやかに暮らしていれば、そのうち、内側からまたふつふつとやりたいことが湧いてくるのです。
私が信じられるものを作ってゆく、純粋なものを作ってゆくことが、見てくれている人へのだいじな約束で、信頼にもなっていくと思うのだ。

 話は少し戻って、卒業試験。ちゃんと、自分の音楽ができました。いままで私がした演奏の中で、いちばん好きだったかもしれない。"いちばん上手"ではないけど、いちばん好き。そっちの方がずっと嬉しい。すごくすごく、とうめいな音楽だったと思うな。

これからも、限りなく純粋で自由なものを作ってゆけるように、ちいさな私を飼い慣らしていきたいなと思います。きっとSNSに載せる文章や絵、音楽も、私の"好き"がきちんと詰まっているはずなので、これからもぜひ見守ってください。☺️

 ちなみに今はね、本がつくりたくて、毎日日記を書き溜めています。日記と、エッセイと、音楽とをまるっと本にして、桜が咲くころに販売したいなぁ。とか。
ともあれ、卒業後のことはまた今度、のんびりお話ししようと思います。🌸

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