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ようこそ

10月10日16時53分、3,750gの三女が生まれた。

兆候

その日は会社を休もうと前日の夜から決めていた。妻の陣痛を予知していた訳ではなく、喉風邪で寝苦しそうな長女を病院へ連れていくためだ。妻の出産予定日は一週間前に過ぎていた。子供たちを早めに寝かしつけた夜は、夫婦でボードゲーム「バトルライン」に興じるのが最近の日課だった。研ぎ澄まされた集中力と引き運で「ウェッジ(ストレートフラッシュ)」の役を華麗に揃える妻のお腹から、乳児が出てくるとはとても思えなかった。

朝6時に微弱な陣痛が始まる。運動会の振替休日で連休気分だった娘たちも、のそのそと起き始める。急遽、小児科から産婦人科へ行先を変更し、朝9時頃に産院へ着く。コロナの5類移行後も、病院へ入れる人数は大幅に制限されていた。そのため、娘二人と私は駐車場で待機し、妻だけがエントランスゲートをくぐった。久しぶりに見た大きな病棟と厳かな外観が、駐車場で待つ私にささやかな安心感を与えた。

妻から連絡があったのは、それから20分後だった。入院になるので準備を、とのことだった。私の仕事の都合もあり、妻が退院するまでは私の両親に娘たちを預けざるを得ないだろう。一度自宅に戻り、事前に状況を説明していた両親と落ち合った。数日分の着替えや歯ブラシ等のお泊りセットを用意し、両親に娘たちを託した。今度は私一人で、妻のいる産院へ向かった。

辛労

3年半前に次女が同じ産院で生まれた。お祝い膳の豪華さやホテルさながらのサービスで人気を集める大型産院とは異なり、比較的アットホームで助産師さんと距離が近いことが魅力だった。当時、外来の付き添いや面会者で多くの人が往来していた院内は、コロナ後で大きく姿を変えていた。多くの人がお産を終えた(或いはお産を迎える)病棟フロアでは助産師も面会者も、えも言われぬハッピーな空気を纏い、それが穏やかな賑わいを醸成していた記憶がある。ラウンジに置かれた椅子が不釣り合いに多く、何かに取り残されたようだった。

陣痛室で横たわる妻は、5分間隔で訪れる鈍い下腹部痛に苦しんでいた。私の到着直後には、陣痛の合間に談笑し、持参した菓子パンを口にしていた程度には元気だったが、徐々に痛みが増していったようだった。暫くして分娩室に案内された。助産師から子宮口が6cmほど開いていると言われたが、これがどの程度の進捗なのか、過去に2度立ち会ったはずの私には全く分からなかった。だが、次の部屋に進んだという現実が、来たるべきゴールを実感させた。

「分娩監視装置だって…仰々しい名前だね。」と妻は言った。その機械は、胎児の心拍と子宮の収縮具合を図示したグラフの紙を吐き出し続けている。妻の痛みはより鋭くなり、それは、痛みのピークを示すグラフの頂点が、描画エリアからはみ出たことからも明白だった。痛みの波が訪れるたびに、私は妻の腰の辺りを懸命にさすった。しかし正確には、さすっているのか、押しているのか、揉んでいるのか、それが腰なのか、臀部なのか、脇腹なのか、全く要領を得なかった。分娩室に入る際に着るよう指示された紙製の手術ガウンは、恐ろしい気密性を発揮しサウナのようだった。それが正確性と集中力を欠いたのだ。今なら分かる、ビブスが正解だった。ビブスを着けて分娩室に入っていれば、優れた通気性によりもっといいプレーができたと思う。

意識を朦朧とさせていると、助産師さんが入ってきた。再度内診をするという。妻と私のコンビネーションの結果が、子宮口がどの程度開いているかという形で示される瞬間だ。妻も私も痛みに耐えてよく頑張った、感動した。私の見立てでは、子宮口は8cm…いや倍の16cmはいってもおかしくない。人体構造的にはおかしいかもしれないが、それほどの鬱勃たる精神が私たち夫婦にはある。固唾を呑んで見守るなか、助産師さんがつぶやく。「そうですね……えっと…うーん……一旦、陣痛室へ戻りましょうか。

対面

吹きすさぶ通り雨が窓ガラスを強く打ち付け、薄暗い陣痛室には雨音だけが響いた。助産師さんは何も語らなかったが、それが答えだった。時計は16時を指し、今朝の微弱陣痛から10時間ほど経過したことを示した。既に2分間隔まで短くなった陣痛は、妻に強烈な痛みを与える。どれほど長く悶え苦しめば、お産が始まるのだろう。終わりの見えない苦痛は、気力と体力を消耗させた。妻は衰弱しきっていた。「もうすぐ終わる」「あと少しだ」等の言葉を、何の医学的見地も持たない素人が使うことは憚られた。

結果的には冒頭のとおり「あと少し」だった。陣痛室でしっかり頑張った妻の元に、その約一時間後に三女はやってきた。乳児らしからぬ毛量の多さは、先に生まれた娘たち二人でも見た光景であり、確かに三女であることを実感させた。改めて妻には深い感謝を述べたい。本当にお疲れ様でした。

余談。
分娩台に残る妻と別れ、陣痛室で一人、身内に出産報告をしていた時のこと。助産師さんの一人が大声で私を呼んでいた。「ご主人ですか!?大変です!!今すぐこちらへ来て下さい!!」余韻に浸る間も無く、廊下へ連れ出される。私は、妻や娘に関する重要な告知事項を申し渡されると考え、想像し得る限りの最悪なケースに頭を巡らせていた。助産師さんは窓の外を指してこう言った。「ご主人、見て下さい。綺麗な虹が出ていますよ。ちょうどお産のタイミングで出たみたいです。ご出産を祝福しているみたいですね。」道路を挟んだ向かいの土地には建設重機が並び、ショベルカーのアームの先から綺麗な虹が伸びていた。すっかり雨が上がり、差し込む西日で虹はやや暖色気味だった。「なるほどコレは綺麗ですね。」「ご主人、折角だから赤ちゃんの名前に『虹』って付けてみたらどう?」「いえ、それは結構です。」

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