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私の不登校経験をもとにしてつくる新しい居場所

このnoteは、中高で不登校となり、高校を中退した元不登校生が、主に自分自身の不登校について振り返っています。現在は、教育関連の法人に勤務しながら、個人で不登校や中退者、保護者の相談への対応、支援を行っています。
今回は、来年 高知市北本町に開設予定の新拠点についてです。

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必要なのは、自信ではなく自己肯定感

私は不登校になってからの2〜3年ほどは、ほとんど勉強することができていなくて、高校を中退してからも、しばらく何もしていませんでした。
そんな私が大学に進学したのは、何かを頑張って自信がついたからではありません。今でも、そんなに自信というものは持っていません。
そもそも、人が動き続けるのに必要なのは、自信ではないと思っています。もし自信をエネルギーにして動いているのなら、少しのことでポキッと折れて動けなくなります。

不登校になった子ども、その親に対して「学校に行かないと将来困る」「将来の為に勉強しておいた方がいい」「勉強して自信がついたら学校に行ける」「勉強しておかないと職に就けない」「中学、高校でもっと勉強が大変になる」「家にいても、できる勉強はしよう」と判で押したように同じことを言う大人たちがいます。
周りに何も言われなくても、学校に行けなくなるまでの過程や学校に行けなくなったということだけでもそれぞれの子どもは何らかのダメージを受けているのに、学校に行く行かないで周囲の顔色を伺ったり、行く行かないの押し問答があったりということもあってまだまだ落ち着かない中で、息つく間もなく勉強のことを色々な所で言われることによって、とてもじゃないけれど今そんな状況ではない子どもの心は、次第に殻にこもるようになります。子どものありのままを受け入れられない色んな大人が与え続けたプレッシャーで、心は潰れます。
そんなことで、学校に行くとか勉強するとかではなく、何よりもまず自己肯定感を回復しなければ動けそうにもない子どもというがほとんどだと思います。

私が大学進学に向けて動き始めたのは、親側から「もう生きてるだけでいい」という、ゼロからの親子関係のリスタートがあったからです。親と大揉めした後のことでした。
そんな、諦めではない見守りがあり、他にも理解してくれる大人が周りにいてくれて、同じ境遇の子もいて、そんな中で徐々に自己肯定感がそこそこのところまで戻ったから動けたんだなと、大人になって思います。

他の子どものことを思い返しても、本人も周りも落ち着いてきて、自分ができる状況、したい気持ちになったら、自ら動き始めるものなのだと思います。勉強を始める時もそうです。
そのタイミングは人によって違いますが、不登校に限らず、何歳になったからこうならないといけないということはないし、したいことをするのに何歳だと遅いというのも、あまりないと思います。
勉強は、勿論していないよりはした方がいいと思いますが、人柄も尊敬できて立派な仕事をしている人が「成績は2も結構あった」と言うし、中卒であろうとすごく賢くて仕事できる人はいて才能も活かしまくるし、全然勉強していなくても英語ペラペラになった人もいるわけです。
その人たちがなぜそこに辿り着き、その能力、ここに書ききれない魅力を手にしたのかというと、親や先生に管理されない自由な時間がたくさんあったからです。

勉強のプレッシャーと似たパターンで、「コミュニケーション能力がないと社会でやっていけない」「仕事ができない」「高校卒業すると必要になってくる」という言葉を聞くことがありますが、これも子どもや親に言ってしまうなら、全く同じような追い詰め方になってしまいます。
私も人と関わることをしていますが、自分のことだけで言えばコミュニケーション能力は重要とは感じていません。そもそも残念ながらコミュケーション能力は高くありません。
ですが、私はありのままを話したくて聞きたくてやっているので、妙にコミュケーション能力を発揮することによってそのままの自分でなくなる感じは、私も相手の方も、お互いに困ります。
そして、上っ面の部分、目に見えるものだけでは評価できないということも、常に思っています。

確かに、学校の勉強の延長線上にある仕事や、コミュケーション能力が必要とされる仕事もありますが、どちらも必要としない仕事もあって、学歴があっても、コミュニケーション能力が高くても、そこではなく別の才能を使って活躍する方も多くいます。
また、学力やコミュケーション能力が必要な仕事をする方たちも、学力やコミュケーション能力だけで成り立っているわけではなく、さまざまな個性、奥行きがあってこそ。
いいアンテナでいっぱいガラクタを集めてみてほしい、遠回りも無駄と思われることもたくさんしてほしい。
一面的な見方にとらわれることなく、子どもたちが落ち着いてそれぞれの歩みを進められる環境を整えたいと思っています。

多様な人生を知れる場所

なぜ大人は、子どもが不安になることを、子どもの将来を思って、良かれと思って、言ってしまうのか。
それが、その人がこれまで生きてくる中で得た価値観だからとも言えますが、それは本を正せば、学校に行けなくなり、何もできなくなった子どもを見た時に不安しかないからで、なぜ不安になるのかというと、「多様な人生を知らないから」ということがあるのではないかと感じます。

たとえば保護者の方なら、子どもが不登校になって、子どもとの関わり方についてアドバイスをもらうとか、そのような本を読んでみるということもあるかもしれませんが、それよりは、ただただ話を聞いてもらうとか、人の話を聞いて、「みんな色んな経験してるね」「色んな人生あるんだね」と思えた方が気持ちが落ち着けて、頑張りすぎず自然と前向きになれるように感じます。

これは、子どもの立場で考えても同じことが言えます。
17歳の私は「もうこれはお先真っ暗かもしれない」と思っていました。もしあの時にも親に追い詰められたら、本当にどうなっていたかわかりませんが、幸い私の親は、大学受験を急に取りやめて、高校卒業後の3年間自分探しをした話をしてくれました。
それまでの私は、周りが卒業する頃 自分はどうなっているのだろうと不安でしたが、身近な人の経験を聞き、不登校にならなかった人でもそんなことがあるということを知って、かなり気持ちが軽くなったのを覚えています。

以前にも書いたことですが、私が生きやすくなったのは、大学時代に自分以外のたくさんの不登校を間近で見たことが大きかったと思います。
また、気持ちがしんどかった時期には、毎日長風呂しながら中古で買ったエッセイを読んで励まされていました。
それから、この10年間、職場で出会った退職教員の方々がご自分の生い立ちや教員時代の大変だった話など、個人的なことを色々と話してくれたことで、私は自分への理解がより進み、色んな人生があるんだなと、自分の来た道を本当の意味で認められるようになり、だから話せるようになりました。

そんな私の経験をもとにしてつくる新拠点は、誰でも無料で自由に本を読める私設文庫&談話スペースです。
いい影響、面白い影響は大歓迎なので、誰でも出入りOKですが、やはり不登校のお子さんや親御さんのことを中心に考えているので、現在職場などを借りながら行っている不登校関連のご相談に、新拠点でも対応します。
そんな感じで、ここを私の不登校支援の拠点にしたいと考えていますが、私設文庫に、不登校に関連した本や子育ての本を置こうと考えている訳ではありません。
中学の時に担任の先生が贈ってくれた本、自分を責めていた時に救ってくれた絵本、お風呂で読んでいたエッセイ、祖父に見せてもらっていた美術の本など。
子どもたちに、今見えている世界がこの世のすべてではないこと、学校と勉強だけではない多様な生き方があることを伝えられる場にもなればと考えていますが、既存の本以外からも、リアルな交流も含めて、もっと身近なところで、「みんな色んな経験してるね」「色んな人生あるんだね」と知ってもらえる、認め合える、そんな場になればと考えています。

自ら動き始めるためのエネルギーがためられる場所

かつて、私は不登校やその経験者、中退者の方に無料で勉強を教えることを、駅前のファミレスや定食屋でしていたのですが、その頃を振り返ると、勉強以外にも、料理を作ったり、一緒に遊んだり、ひたすら遠くへ散歩したり、電車で他県へ行ってみたり、私が苦手なことを逆に教えてもらったり、私が勝手に好きでやっている個人的な関係だからこそ自然にできたことがたくさんあって、勉強で自信を取り戻す!将来に備える!とかじゃなく、むしろそこ以外の日常のちょっとしたこと、どうでも良さそうなこと、気付かなかったくらいのめちゃくちゃ小さな幸せの積み重ねのような部分で、子どもたちは元気を取り戻してくれたように感じます。
当時は深く分析もせず、無意識にしていたことでしたが、自分が不登校から回復していったのも、そんなたわいもないことをして元気を取り戻せたからでした。

そんな経験をもとに、私が今準備しているのは、将来のために勉強をさせたり何かを身につけさせたりする場ではありません。
10代の頃、学校でも家でもない居場所として、不登校や中退者のための塾のようなものを考えて、それで大学に行きました。
今までもこれからも、ご本人がそれを望むなら、勉強を教えることも喜んでしますが、正直それは私でなくてもよいことで、むしろ教えるプロがたくさんいらっしゃいます。
新拠点は、不登校の状況にある方、高校を中退された方、通信制高校に通う方、それから学校に通っている方も含めて、将来的に何か学びたい、何かしたいと思って自ら動き始めるためのエネルギーがためられる場所にしたいと思っています。
カフェのようにふらっと来て過ごしてもらえたらと思っているので、予約不要です。

それから、新拠点では、親として教員として不登校に寄り添ってきた方と一緒にさせていただくことになりました。
その方とは7年ほど不登校について話してきましたが、経験から感じている部分がかなり重なっていて、不登校に対する考え方は自分とすごく近いと感じています。
私は、ボランティアサークルに所属していたわけでもなく、なにか崇高な考えでしていたわけでもなく、当時の私の日常生活の中で、個人的な関心、関係でしていたことで、この活動やそこから得たことについて、誰かに相談したとかどこかにそれを報告したことはなく、詳しく話すことも最近までありませんでした。
今もどこかその延長線上に過ぎないところがあり、不登校に関する私個人の思いが強すぎてなかなか誰かと共通理解をはかることは難しいと感じているので、新拠点も一人でするつもりでしたが、「場所さえあれば、高校生くらいの子が勉強とか何かさせられる場じゃなくボーッとできる場を作りたい」とおっしゃるのを聞いた時に、不登校だけでなく、学校が苦しくなっている高校生の居場所や、不登校から通信制に進んだ高校生にとっての平日の行き場があまりにもないということを私も過去の経験から感じていたので、「じゃあ一緒にやりましょう」と秒で決定しました。(特に高校生やそれ以上の年齢、大人が来やすい雰囲気にはなりますが、何歳の方でも歓迎です。)

私は中身は意外と熱いのかもしれないなと、最近こうやって書くようになって思うようになりましたが、見た目からはやる気が一切感じられないということをよく言われてきました。子どもの頃も、成績表の意欲の欄が良かったことがありません。生まれ変わったら、やる気が満ち溢れる人になってみたいです。
ただ、疲れている時の私は、熱いとか、やる気に満ち溢れているとか、バイタリティ溢れているものが余計に疲れたし、特に不登校当時は今以上にそういうのが受け付けなかったので、夢とか自信とか未来とか、キラキラなものは置きません。
いつもの温度低めの私がお待ちしています。なんか疲れたなぁっていう時こそ是非おいでください。

詳しい場所は、また改めてお知らせします。

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