見出し画像

不登校体験談 親との関係①

このnoteは、元不登校生が、主に自分自身の不登校について綴るものです。

中高で3年近く不登校だった私は、高校を中退後、大検(高認)を取得、19歳で大学へ。不登校や高校中退者への学習支援を大学時代から行い、教育関連の法人で働きながら、昨年、不登校の子どものための居場所を開設しました。

学校に行きづらい状況にあるご本人や保護者の方、県内外問わず匿名でのご相談にも対応しています。お悩みも愚痴も、私個人のメールアドレス【qqqm72bd@gmail.com】へどうぞ!

不登校は親のせい?

我が子が不登校になったのは、自分の育て方、関わり方が良くなかったからではないかと思い悩み、ご自分を責めてしまう方が本当に多いので、まず「親との関係」というテーマで、自分の不登校を振り返っていきます。

ああでもない、こうでもないと、一生懸命子育てしてこられた方だからこそ、今もまじめに原因を探していらっしゃるのだと思いますが、学校に行かないという選択は、親に対してある程度の信頼があるからこそできるのだと思っています。

極端な例だと思われるかもしれませんが、親に虐待されていたけれど、不登校にはならなかったという人がいます。不登校にならなかったのは、学校に行きたくないと思っていたけれど、行きたくないと言ったら何をされるかわからないと思って耐えたからだと言います。

私は、中学・高校で不登校になりましたが、結論から言えば、親の対応に強い不満を持ち、関係が悪くなっていったのは、不登校になってからのことです。

自分が関わったケースを振り返っても、不登校は、親の関わり方、育て方が大きな原因となるのではなく、子どもが不登校となったことによって家庭が揺らぎ始める場合が多いと感じます。

救いの手を差し伸べたのは

私が不登校気味になってから約3年の不登校生活の中で、親が登校を強いることはありませんでした。

私の心が弱っていることに気付き、心の回復を一番に考えてくれていました。

「子どものことで親が落ち込んでも駄目だ」とも思ったそうです。

しかし、落ち込まずに元気で居続けるのは難しいことでした。

次第に、「どうしても学校に行ってほしい」という親の本音が、元気をなくした親の背中からビシビシと伝わってくるようになりました。それはすごいプレッシャーです。

親に当時のことを聞くと、「どうして学校に行きたくないのか、申し訳ないけれど、その気持ちが1ミリも理解できなかった」と言います。

学校に行きたくないなどと一瞬たりとも思ったことのない私の親。

学生時代のアルバムを開けば、部活に全力を注いで青春を謳歌したのもよくわかるし、今なら「自分とは違う人間だからそう思うのも仕方ない」とこちらも理解できますが、当時は私も気持ちに余裕がない状態。

子どものせいでめちゃくちゃ悩みまくっている親の姿は本当につらいもので、自分を責めましたし、「学校に行けとは言わないけれど私のせいですごく悩んでいる親」と過ごす時間は居心地が悪すぎて、家の中はいつも重苦しい空気でした。

当時、県内に親の会や相談できる場は既にあったのですが、それらには行き着かなかったようです。

そして、解決の糸口を探るために、たくさんの本を読んでいました。

両親は元々、友人や同僚、PTAなど、同じ年頃の子をもつ人たちとの交流は多くありましたが、身近なところで不登校の話を聞くことが全くなかったこともあって話しづらく感じ、友人たちとはその頃は一時的に疎遠になってしまったようです。

再登校したと思ってもまた休み、環境が変わっても不登校を繰り返し、ついに高校にも行かなくなって、進級が危ぶまれる状況になりました。

約3年にわたって我が子の不登校を孤独に抱えてきた私の親に救いの手を差し伸べたのは、数年前に子どもが不登校から回復したという元不登校生の親、Aさんでした。知り合って半年の、同じ学校の保護者です。

「すごく親身になってくれる人。あなたの気持ちがわかるって言ってくれてたよ」と親に言われ、私も会うことになりました。

家に来たのはAさんとそのご友人。Aさんは私のことを既によく知っていて、自分自身も不登校の経験があるから気持ちがわかると優しく言いますが、よく聞けば「ある病気で学校を休むことが度々あって、そのことで嫌な思いをした」という話でした。

「ズル休みじゃないんだよね。だから、来週は学校に行ってみない?」とAさんに説得されて4時間。最後には、お経を唱えながら肩をバシバシ叩かれました。

16歳の私にとっては笑いたくなるような光景だったと思いますが、心底疲れ切っていて、笑う力もありません。

それより、自分の目の前で起こったことが信じられませんでした。親は宗教が嫌いだったはず。思いもよらぬ展開でした。

Aさん達が帰ってから「関わるのはやめたほうがいい」と訴えましたが、「本当に心配してくれているから…」とその後も週に何日もAさん達の来訪を受け入れることが続きました。

弱っているところに2、3人で頻繁に来られては何時間も居座られることの怖さ。結局、親はあっという間に入信しました。

その後も訪問のペースはあまり変わらず、Aさんによる「学校に行ってみない?」の言葉がけも続き、家はもはや全く落ち着かない場所になっていました。

居場所を失い、精神的にもますます追い詰められ、それでもそんな私に気付くこともなく別の方向へ進んでいく親への不信感も募り募って、4ヶ月ほど家出をしました。

後から聞いた話ですが、すぐに「間違っていた」と目が覚め、慌てて会費を払って退会したそうです。

約1年後に親族が亡くなった際には、既に関係を断っていたのにもかかわらず、新聞で知ったAさん達が弔問に来ました。

突然のことで驚きましたが、親が外に出て、何も受け取らず丁重にことわっている姿をこっそり見て、安堵したのをおぼえています。

後になってみれば、入信させる目的で近づいたという、ごく当たり前のことに親も気付くことができたのですが、「勧誘された頃は本当に動揺してしまっていて、何故かそう思えなかった」と言います。

「子どものため」のつもりが、いつの間にか子どもが見えなくなっていたのです。

実は、不登校に悩む家庭が、宗教や何らかの団体からの勧誘を受けるというのは、珍しいことではありません。家庭学習用の高額教材を買わされるようなケースもあります。

今は、私の時代よりも不登校の子どもの居場所の選択肢ははるかに増えましたが、そこへ、宗教・思想を広めたい人、儲けたい人が不登校に目をつけて参入し、混在している状況は、憂慮に堪えないものがあります。

宗教をもつことは全く悪いことではないし、宗教施設で開催される居場所も、不登校に限らず様々あって、いい取り組みだなと思ったものも勿論あります。宗教そのものが、信仰する人たちにとっての居場所であるとも思います。

Aさんの宗教も、そこそこ名の知れた信者数の多い仏教系で、宗教そのものには全く危険な印象はないのです。

ただ、弱っている人に、支援を隠れ蓑にして近付く布教や商売ってどうなの?と本当に腹立たしく思っています。

最終的には本人の意思ですが、その前段階で、親が冷静に見極めておく必要があると思います。

親を追い詰めたもの

何故それほどまでに、私の親が追い詰められたのか。

Aさんに出会う前、理由のわからない不登校を誰にも話すことができない中、親のただ一つの心の拠り所であったものが、本でした。

元々は、子どもの不登校を周囲に隠すつもりはなく、不登校の初期には、知人との何気ない会話の中で触れたこともあったそうです。

しかし、「もう一人産んでおいたら良かったのに」と困ったような顔で言われてしまい、何の期待もなく言ったものの、想定し得る範囲の斜め上を行くコメントに、話したことを後悔したと言います。

そして、誰にも話せなくなって、本に頼るようになりました。「本当に、藁にもすがる気持ちだった」と言います。

しかし、結果的には、読んでいた本にも追い詰められてしまいました。

読んだ内の数冊は、今も私の手もとに残っていますが、当時読んでいた本の大半が、子どもとの関わり方をアドバイスするものでした。

しかし、子育てのアドバイスを何冊読んでも、自分の思う解決からはどんどん遠ざかってしまい、次から次へと読み漁る中で、過去の子育てまで振り返り始めてしまったようです。

人との対話の中で得られたアドバイスなら、そうネガティブにはならなかったように思いますが、孤独に読み進める中で「自分の育て方がだめだったのかもしれない」という不安が新たに生まれてしまいました。

「育て方が悪かったのかもしれない、今の関わり方もわからない」というどん底で、「不登校になる子の気持ちがわかる」と言うAさんに出会い、我が子との間に入ってもらうことが良いと考えたのでしょう。

私の親は、「親の会の存在を知っていたら、絶対に参加した」と言い切ります。

もし今の時代だったら、ネットで検索して、親の会にもたどり着けていたかもしれません。そして、本だけでなく、ネットでも答えを探しまわったと思います。

ただ、子育ての悩みにその都度そこから答えをもらって、なるほどと思ってやってみても、掃除の裏技やお手軽レシピのアイデアを得て実現できる家事の時短などとは違って、小手先のテクニックの積み重ねでは、子育てに大変革を起こすことはできないように感じています。

それは、技術不足などではなくて、心がついて行っていないからだと思います。

子どもが不登校になって悩んでいる保護者の方に私が何より伝えたいのは、まずは親が話せる場を持ってほしいということです。

その交流の中で、きっと光は見えるし、気持ちは軽くなっていくと思います。

心が弱っている時に、人の励ましが辛く感じることもあると思いますが、経験者からの励ましの言葉は支えになります。

このような理由で、私は親の会を薦めています。

親との関係②に続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?