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剣岳追憶

眼前に黒い岩壁がそそり立つ。
息が上がり、汗が目に染みる。
引力に逆らって、身体を上方に持ち上げる。
見おろすと、断崖が谷底まで落ちている。
三点支持での一歩一歩はためらいがちだった。
ただ、心に「山頂はもうすぐだ」と言い聞かせているだけだった。
手をかけた岩の先に、ミヤマツメクサの小さな白い花。
いっときの安らぎが身内に流れた。

剣岳は2999mで、「岩の殿堂」と呼ばれている。1907年(明治40年)陸軍測量部によって、困難の末初登頂、しかし山頂には錆びた剣と錫杖があったそうだ。奈良時代の修験者のものと思われるが、あの当時の装備であのような岩山によく登れたものだと驚く。現在ではルートが決められ鎖もあるが、それでも年に何人かは滑落して死んでいく。
何年か前に、3度目の登山計画を立てたが、「無謀老人が、世間の笑いものになるだけでなく、大迷惑になるのでやめてくれ」と、老妻に拒否された。
「三浦雄一郎だって、あの歳でエベレストに登るのだから・・・」という言い訳は通らなかった。さもあらん。

剣岳八つ峰
剣岳山頂より