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「宝石の国」雑感

今朝noteのビュー数を見たら、なぜかいきなり「宝石の国とスターレッド」の記事が2000を超えてたんですよ。最初は何かのバグかと思ったんですが、よくみると、スキの数もそれなりに増えてるんです
確か、前日までは、この記事の累積ビュー数は100くらいだったと思うのですが、どこかに貼られたのか?インフルエンサーが紹介してくれたのか?

夕方には4500を超えていて、「宝石の国とポーの一族」も週間ビュー数で1000を超えてました。他の萩尾望都関連の記事の週間ビュー数はせいぜい20なので、これは宝石の国愛読者が大挙して押し寄せたということなのでしょう

でもなぜ?

タイトルが「宝石の国とスターレッド」ですよ?この二つの漫画を両方読んでいる人間なんてそんなにいないでしょう。こんなニッチな記事(しかも結論は私の妄想)のどこにバズり要素があったのだろう?本気でわかりません

(以上、2023年11月22日の出来事でした)

ということで、このnoteの趣旨をまるっと無視して萩尾望都云々抜きで「宝石の国」を語ってみようかと思います。
とは言え、私は「宝石の国」について自信満々に語れるほど、この物語がわかった気がしません。「えーーっ?そう来る?」という驚きを感じることも多く、私にとってこの漫画は常に「新鮮」でした。
そもそも「仏教」について詳しくないので、それに沿った意見も書けないから、私なりに考えたことを思いつくままに書いていくことにします

【「宝石の国」の最重要台詞】

もちろん私の主観なのですが、第百四話「楽園」のフォスの台詞

「本当にすべては変わるんですね 過去や 意味さえも」

宝石の国 第百四話

これが作者が最も表現したかったことなのではないでしょうか。
少なくとも私は、この先、折にふれてこの台詞を思い出すことになりそうな予感がします

【「宝石の国」における最大の難所】

以前、5ちゃんねるに書いたことですが、これは「フォスをバラバラにして埋める件」だと思うんです。だってすごく無理があると思いませんか?どう考えてもユークの言うように、頭を閉じて交渉するのが賢明でしょう。フォスをバラバラに埋めたとして、月人は存在し続けるし、何も問題の解決になってないと思うのです。でも、どうしてもストーリー上、フォスはバラバラに埋められなくてはならなかった、でないと「復讐」の感情が生まれずフォスが「人間」になることができません。ここは物語の最大の鍵ですから。
そこで重要になってくるのが

・ルチルの存在

です。ルチルが「海に捨てようぜ」と言い、ユークが「交渉はしたいわ 頭だけ閉じるのはどう?」と言ったからこそ、間をとったシンシャの「断片に分けてそれぞれが隠すべきだ」という案が自然に採用されたわけです。ルチルの提案がなかったとしたら、シンシャの案は非情で冷酷なものと捉えられてしまい、周囲に受け入れ難くなっていたでしょう。ストーリーとしてはそれでは困ります。
私は、この「海に捨てようぜ」という台詞を言うために、ルチルというキャラは作られたと言っても過言ではないと思ってます

ルチルがパパラチアのパーツを抱いたまま離さないシーンも、これもどう考えても、無理矢理奪い取って、パパラチアから話を聞くべきなのに、相手がルチルならまあ仕方ないかと思わせる怖さ(というか面倒くささ)はストーリー的に好都合となっています

・金剛のコンちゃん化

も重要です。金剛が威厳を持った指導者のままだったら、さすがにフォスのバラバラ埋めを看過することに無理が出るでしょう。つまり、金剛がコンちゃんになったのは、バラバラ埋めをより自然に見せるという意味が大きかったのではないでしょうか

・夜襲の不自然さ

金剛や地上の宝石たちと話し合いたいのなら、夜にこっそりなんてことではなくて、あらかじめ手紙を送っていろいろ説明してから、人望のあるパパラチアを前面に出して使者として送ったほうがずっとマシだったと思うんですよ。そして、次にはフォス一人で地上に行くことになるのですが、もうこのあたりは、ストーリー上の都合以外のなにものでもないでしょう。すべてはフォスバラバラ埋めを目指しています

・ユークが議長でない理由

なんでユークが議長でないのか、明らかにユークは実質的にリーダーですし、ユークがあえてナンバー2の地位で仕切りたがるタイプとも思えないのですが……
これも、ユークが議長になってしまうと「交渉したいわ 頭だけ閉じるのはどう?」との発言に議長としての重みがついてしまって、反論しにくくなるからだと思います。結局、地上の宝石たちが全員月に行った際に、宝石の月人化を決定したのはやっぱりユークなんですけどね

以上、作者は大変苦労してるんだな~ってことと、ごく初期から、ストーリーを練っていたと言いたいだけです。他意はないので誤解なきよう

【シンシャの心の動きとフォスの綿毛】

シンシャがフォスのことをどんなふうに思っているのか、もうずっと謎だったんですよ。アニメだとエンディングはシンシャとフォスの二人だけの絵なので、ほとんどアニメから入ったような私には、フォスとシンシャの間には特別な感情、「恋」に近い何かがあるのだろうか?と疑問でした。まあ、明らかに、フォスはシンシャよりもアンタークの喪失に心が奪われていましたけどね。一方、シンシャにとってフォスとはなんなのか?

結論から言うと、シンシャはフォスじゃなくとも自分を仲間とみなしてくれる相手だったら、誰でも良かったんだと思います。フォスは「誰でもよかったとは思いたくないんだ」とウェントリコスス王に語りますが、シンシャは誰でも良かったんでしょう。第九十二話のシーンで確信できました。
ここで、フォスはシンシャのことを「無様で哀れだな」と嘲るのですが、シンシャはその言葉に「知ってる」と力強く答えます

・シンシャはなぜフォスが月に行った理由を皆に語らなかったのか?
・シンシャはなぜフォスをバラバラに埋めることを提案したのか?

そのすべては自分のためだったことが、この「知ってる」という台詞から読み取れるんですよ……(と私は思います……)

つまり、シンシャはやっと宝石たちが自分を仲間と認めて重視してくれたこの幸せな状況を変えたくなかったんです。フォスが月へ行った理由を語れば、そのことを今まで黙っていた自分の立場も悪くなるし、フォスという共通の敵がいることで生じた仲間と自分との結束も失ってしまう恐れがあります。ユークの提案である「フォスの頭だけ閉じて対話」が行われれば、フォスがいろいろと語ってしまうわけで、それは避けたかったのでしょう。一応、ボルツの前に金剛になにか話しかけようとはしていたので、シンシャも良心から本当のことを言いかけていたのだと思いますが、結局沈黙してしまいます

なんという自己中!

でも、シンシャはそんな自分をずっと「無様で哀れ」だと思い続けてきたわけで、フォスに対する罪悪感は相当なものだったはずです。それは裏を返せば、数百年?千年以上?のシンシャの孤独な人生で、いかに痛々しいほどにシンシャが仲間を求めていたかを物語っているわけで

ああ、これこそが「人間」だよなーと私は思ってしまうのです
その後、シンシャが月に行って、ジェードに質問されるのですが

ジェード「シンシャはフォスが一緒でないとダメか?」
シンシャ「そうじゃないから困る」

宝石の国 第九十六話

この会話も絶妙だと思います。とても「人間」らしいとしか言いようがないです。12巻特装版の付録の冊子で、シンシャがやがて恋人?を得て幸せそうにしている姿まで描いてしまう市川春子さんに対して、そこまで描くなんてほんとこの人って徹底してるよなーと思いつつも、リアルな人間ってこういうものでしょう

ということで、私はルチルやダイヤなどの宝石より、シンシャに一番「人間らしさ」を感じてしまいましたし、シンシャの一連の描写は実に見事だったと思ってます

そこで、フォスの綿毛の件です

アフタヌーン誌に掲載された第九十三話と、単行本に掲載された第九十三話では、一部が描きかえられているんです

月刊アフタヌーン 宝石の国 第九十三話
月刊アフタヌーン 宝石の国 第九十三話

以上が元々アフタヌーンで描かれたもので

宝石の国 十二巻 第九十三話
宝石の国 十二巻 第九十三話

単行本ではこのように変わっていて、髪に綿毛のついたフォスの描写は消えて、綿毛だけの描写に差し替えられています

なぜこのような変更があったかというと、私が5ちゃんねるに書いたことが原因なんじゃないかと愚考いたします。もしくは、旧Twitterなどでも同じ意見があったのかもしれません

おいおい、自意識過剰もいい加減にしろよ~って言われそうですが(笑)

私はアフタヌーン掲載時のフォスの綿毛描写について

・綿毛のついているフォスをフォス自身が認識することはできないし、シンシャの水銀をかぶった時からこの記憶が生じたから、この記憶はシンシャのものである
・フォスの髪の綿毛シーンは第一話で描かれていて、フォスとシンシャが出会うのは第二話だから、シンシャはフォスと知り合う前からこっそりフォスを眺めていて、フォスを意識していた?
・「かわいいね」という台詞もシンシャの当時のフォスへの感情が含まれている?

といったことを5ちゃんねるに書いたんですよ
実際に、そう読解されるのも無理はないと今でも思います。もちろんこれが唯一の正解だなんて主張するつもりはありませんでした

で、作者の市川春子さんは、私が読みとったように読解されると困ると考えたんだと思います。だって、シンシャはべつにフォスに特別な感情を抱いてなくて、誰でも良かったんでしょうから

というか、市川春子さんが綿毛のシーンを差し替えたことで、シンシャはフォスに最初から特別な感情なんてなかったことが決定的になったと思ってます。それを読解と言っていいのかどうかはともかく

でも、元の綿毛シーンは、水銀かぶってどろどろでボロボロになったフォスが、第一話のまだ純粋だった自分の姿を思い出し、誰だかわからなくても、「かわいいね」と感じるという、これまでのフォスのめまぐるしい変化を思い起こさせ、「本当にすっかり変わってしまったね、フォス」と読者をしみじみさせる良いシーンだったと思うんですよ

シンシャが偶然第一話の綿毛のフォスをどこかで見ていて、羨ましく思ったので記憶に残っていた、ただそれだけのこと、と押し通すこともできたと思うのに、変えてしまったのはちょっともったいなかったですよね
私がそれを言うのもどうかと思いますが(笑)

【エクメアとカンゴーム】

いや~、この二人は一部の読者から嫌われてますよね~
私が5ちゃんねるのスレを訪れたときも、そうでした。当時、私はカンゴームって誰だっけ?ああ、エクメアの恋人ね、程度の認識しかなかったのですが、その後、エクメアとカンゴームについていろいろ考えることになります

で、例のべろちゅーです(笑)

作中屈指の気持ち悪さと指摘されたべろちゅーの件だけど、これ、唾液が糸を引いてるんだね、なんでここまで生々しい描写にしたのか?考えてみた
これこそ「無」との対極にある「生」の躍動なのではないかと
舌を入れないお上品なキスなんかじゃ全然足りない、舌を入れたら唾液が出るのは当たり前、エクメアのカンゴームへの愛の想いの最高潮、私たち、今、この瞬間、まさに生きて愛し合ってます!という描写を可能な限り力強く表現するためには、糸引きべろちゅーが最も効果的だったのかなって思った
怒るルチル、悩むダイヤ、遊ぶゴーシェ、研究するアメシスト、すべては生きているからこその生の営みだけど、その中でも本来は新しい命を産み出す役割を持っていた「性の営み」こそが、「生の営み」における頂点、まさに「無」との対極に位置する行為なんじゃないか
エクカンのいちゃいちゃ描写がたびたび描かれるのは決して作者の趣味だけではない……www

これは私が5ちゃんねるに書いたレスです。完全にふざけてますね

エクメアはカンゴームと一緒に無に行きたいとは思ってないんじゃないかな
愛するからこそ自分が無になった後も楽しく生きていて欲しかったから、一番遠くの月に邸宅を建てたんじゃないの?
だから、カンゴームが勝手に地上へ行ったときにあんなに怒ったんだと思う、自分のコントロール下にいないといざという時に逃がせない
カンゴームに「お前と無に行く」って言われるシーン

自由を与えたかったはずなのに、結局カンゴームの人生を自分への愛で縛ってしまった哀しさ
でもそこまで自分を愛してくれるという喜び
本当は流氷に飛び込もうとしたときに助けたかったのに、自分の使命(呪い)を優先したためそれができなかった申し訳なさ
エクメアのさまざまな感情が重なり合ったあのキスは、万感の想いが込められていて見ていて胸が苦しくなる

これも私が5ちゃんねるで書いたレスです。こっちは少し真面目に書いていて、実際、あのシーンは見せ方がすごく上手いと思ってます

でも、エクメアとカンゴームの「愛」ですが、実を言うと、私は彼らの愛がきっちり醒めるまでを描いてほしかったんですよ。ものすごーくそれを期待してました。
だって、一万年もラブラブっぷりが続くわけないじゃないですか。
だから、描写されなくて残念だったのですが、まあ、そこが主題というわけじゃないでしょうから、仕方ないのでしょう……

ということで、キリがないのでこのへんで……

今現在(2023年11月24日)の週間ビュー数は「宝石の国とスターレッド」が8149ビューで、「宝石の国とポーの一族」が5194ビューになっています
SNSってすごいなー
ちなみに第三位の「萩尾望都が竹宮恵子を意識している?と思わせる行動」はたったの35ビューです。それでもほんの少し増えてますが……
一応、このnoteは萩尾望都批判のnoteなんですよ……
「一度きりの大泉の話」はぜひ図書館で借りてでも一読するべきです、こんな本はあと数十年出現しないでしょう

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