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「宝石の国」完結によせて その2

その2を書くというのは予定してなかったのですが、某所を見ていて、新たな気づきがあったので……

前回触れた「旧フォスが最後にどうなったか問題」ですが

(1)無に行けずに、太陽と運命を共にして、白色矮星になった
(2)兄機や石くんたちが祈った時点で無に行けた
(3)フォスが「仕事をやり遂げた=執着を手放した」時点でかるくなって無に行けた

この三点のうち、どうやら(3)が一番ありえそうだなと

というのは、フォスのこのシーンの伏線と考えられるものがあって、それは金剛の飼い犬しろが金剛に甘えられて、満足して無に行ったと思われるシーンです。しろは犬なので、人間のお祈りルールに縛られないみたいなんですよ。

ちなみに、お祈りルールというのはこれです

「宝石の国」第五十四話

本来、「魂の分解には 質は問わないが 生きている別個体の人間の祈りが必要」だったのですが、しろはこれを必要としなかったようで、執着がなくなって満足したら、他者のお祈りを必要としないで無に行けたと思われます

「宝石の国」第二十八話

多分、これフォスにも同じことが言えて、フォスは神になって人間要素がなくなったからか、そもそも宝石にもお祈りが必要なかったのか、そこはわからないのですが、しろと同様に、お祈りを必要とせず、仕事をやり遂げて満足したことで「余計なものを一切取り除かれた純粋な魂の元素」になって、無に行けたということだと思います。私が考えたわけじゃなくて、そういう意見を書いてた人がいて、なるほど!と思いました

同様のことが兄機にも言えて、金剛の愛用していたパズルが金剛に再び会えたことで、満足して無に行ってるシーンが、無機物でも無に行けることの伏線だったようです


「宝石の国」第四十三話

ただ、しろもパズルも無に行ったのかと思いきや、しろは後にカンゴームのペットになってるし、パズルのほうは月人化した金剛とアンタークが遊んでたりするし、結局、しろもパズルも無に行かなかったのだろうか?と思わせる描写もあるんですよ

私はこれは月人が博士を再生したように、しろとパズルを再生したもので、本物のしろとパズルは、彼らが満足した時点で無に行ったと解釈しているのですが、だとしたら、なんで市川春子さんはこんな誤解を与えるような描写をするのでしょう?

それ以外にも、第九十九話の唐突に白色矮星について語り合うシーンは、どう考えても、フォスがやがて白色矮星になる可能性を示唆していると思います

で、私が思うに、市川春子さんは多分、解釈が一つに決まることを避けたかったんじゃないかなと。
読者にいくつか選択肢を与えて、そのうちから好きなように選ばせているのかとすら思えてしまいます

エクメア「金剛は人間にとって最も尊いものを君たちに与えた 何かわかるかな?」「自由だ」

「宝石の国」第六十六話

ここでいきなり「自由」という言葉が出てきて、金剛ってそんなに宝石たちに自由を与えてたっけ?と、このシーン、実は何言ってるのかよくわからなかったのですが、市川春子さんも、読者の解釈に自由を与えたかったのかな?と、半分冗談ですが、そんな風に思いたくなる漫画の作り方をしてるなって考えちゃいました

話を戻して、フォスに「人間根絶」の使命が与えられたのは、フォスが無に行くにあたって、仕事をやり遂げて執着を手放すシーンが必要だったからでしょう。同様に、兄機がフォスのことを「月人たちに頼まれてたんだ」と語るシーンも、仕事を成し遂げて満足した兄機が無に行ける条件が整ったことを示しているのだと思います。そう考えると、二人とも、最後に何らかの仕事が必要だったというだけで、「人間根絶」それ自体にはそう大した意味はなかったんじゃないかな?

石くんたちはそもそも執着が何もないので、宇宙の終りまで楽しく自由に遊び続けるんでしょうね

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