自らが無能であることを権利であるかのように誇る日本人をビジネスに生かす

何かができないあるいは理解できないことは恥ずべきことだが、日本人の多くは何かができる人とできない自分を同じに扱えと主張する。できないことがまるで権利であるかのようだ。

この性質は、このnoteの主題である「日本人の行動は全て二つの性質から説明できる」から直接導ける。だから直しようがない。永遠にこのままだ。見てきた訳ではないので確信はないのだが、狩猟採集民だった1万年前はここまでひどくはなかったと思う。どこで間違えたのかを考えるのは知的ゲームとしては面白いが、もう直せないのでそれを考えてもあまり益はない。

暴走車が向かってくるとか、弾丸が飛んでくるとか、危険が迫っているとき普通避けるだろと思う場面で避けない。何も考えずに気を配らないのがよいらしい。

憲法9条盲信とか、ゆとり教育賛成とかはこの性質に由来している。卑近な例だと歩きスマホではスマホを持ってない方が避けないといけない。アクセルとブレーキを踏み間違えたらそれは車のせい。何らかの機器を操作できない人をできる人と同じに扱えと主張する。株価が下がるとその企業の代表電話や株を買った証券会社に抗議電話をしてくる。君らが損したのは君らの知性がないからだろうに。その割に日本円の価値が目減りしているのを気にしないのが笑える。
そのうち100mを9秒台で走れない人にもオリンピックの金メダルを与えろとか言い出しそうだ。

子供の頃はこいつらこれでも人間なのか?と嫌悪感を抱いていたが、今はゴキブリと一緒だと思ってホイホイを適当に置いて気にしなければ良いと分かった。昆虫のゴキブリの方が自分の能力を最大限に使って一所懸命生きているからよほど好感が持てる。例えに使ったことは昆虫の方のゴキブリに謝らないといけない。今後はでかいゴキブリと区別して表記するから許してほしい。

しかしでかいゴキブリが1億匹は多い。ホイホイで近寄らせないだけでなく、でかいゴキブリを何らかのエネルギーに変える工夫をした方が建設的だ。そういうビジネスはたくさんある。資本主義下のビジネスの基本戦略でもある。考えないで楽して呆けている人から、考える人へ富は流れる。努力したアリが考えずに楽して呆けているキリギリスに勝つ。これが宇宙に暮らす知的生命体間では普遍の法則だ。よく考えたら知的生命じゃなくても呆けている個体が滅びるのは自然界では当たり前だ。

程度の差はあれ、考えないキリギリスから考えるアリへ富が移動するビジネスは世界中で行われている。日本がいちばんやりやすい。そういう意味では日本で生まれたことをチャンスと思った方がよい。考えないキリギリスが1億匹はいるのだ。

強い敵と戦うのが好きという傾奇者もいるから、そういうのを選好するのを止めはしないが、ビルゲイツに金を払ってもらうよりは、もっと愚か者に払ってもらう方が易しいよ。

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