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理学療法士・慢性痛・多様性を学び、生きづらさを考える

 理学療法士として医療・介護・生活保護分野などでの勤務経験がある。この経験の中の救護施設では自立生活が困難な状況にある病状の安定した精神障害者・身体障害者・知的障害者を対象に機能回復訓練に携わっている。救護施設は、社会福祉の最後の砦と言われるような施設である。

 入院患者や入所利用者から理学療法士に求められることとして「歩けるようになりたい」「ひとりでトイレに行けるようになりたい」「家に帰りたい」などの希望やニーズが聞かれる。外来患者や通所利用者では「痛くて腕が上がらない・歩けない」「歩行を安定させたい」などの希望やニーズが聞かれる。患者・利用者それぞれの立場で様々な希望やニーズがあるが、どんな場所で働いていても「痛みを和らげてほしい」という共通の苦悩があった。

 痛みは、組織損傷や炎症、神経障害、心理・社会的要因による痛みがあり、前者に対しては安静・固定・手術療法・薬物治療や理学療法などを施し、組織損傷や炎症・神経障害を治療することにより痛みが軽快していくことを多く経験した。後者に対しての理解はあまり浸透しておらず「不定愁訴」や「検査をしても異常所見はない」として治療をしないという選択をされてしまうことがある。

 痛みは不快な感覚であり情動体験であると言われている。ネガティブな感情を抱かせ、意欲を低下させ、活動量を低下させてしまう。痛みを強く感じるせいでリハビリに消極的になり廃用症候群に陥ってしまう方がいたし、痛みを強く感じるせいでリハビリが思うように進まないと悩む理学療法士もいた。私もそのひとりだった。

 組織損傷や炎症などの急性痛は一般的に3ヶ月まで軽快するとされている。一方、3ヶ月以上続く痛みは慢性痛とされる。患者・利用者の中には6ヶ月以上続く痛み、ときには数年・数十年痛みと付き合っている方もいる。痛みを強く感じるせいでリハビリが思うように進まない、この痛みをどうにかすることはできないのかと色々と調べ山口大学慢性痛管理学コースを1年かけて履修した。

 痛みは身体の警告信号としての機能がある。警告信号としての役割を持たない痛みには心理社会的要因が関与していることがあり、これが痛みを複雑化させているということを学んだ。恐怖回避モデルは汎用性が高く慢性痛を抱えている方に対して痛みの慢性化の仕組みを説明する際に活用している。痛みの心理社会的要因は、家庭・職場におけるストレス、不眠や不安、痛みに対する価値観や思考の癖など多岐に渡る。
 実際の臨床では「この人の痛みが長引いている要因はなんだろう」と理学療法評価に加え「夜は眠れていますか?」「食欲は普通ですか?」「勤務時間、残業はどのくらいですか?」「普段の活動量(歩数)はどのくらいかわかりますか?」「趣味や好きなことはありますか?」「休日はどんなふうに過ごしていますか?」「生活の中で楽しみはありますか?」など色々な質問をするようになった。患者・利用者の中には「なんでこんなこと聞かれるんだろう?」とぽかんという表情を浮かべる方も少なくないが、なぜこのような質問をしたのかを説明すると「そういうことも痛みと関係あるんですね」と納得してもらえることを多く経験する。自身が感じている痛みが「生活の中のこのストレスと関連していそうだ」と理解してもらえると就寝時間を早めたり、ストレッチをしてみたり、歩数を増やすように努力したりとリハビリに前向きに取り組む様子が見てとれる。このような方は快方に進むのが早いと感じる。週1回の頻度で外来リハビリを開始し、2週に1回、月に1回と頻度を徐々に減らして痛みを自己管理できれば、順調に痛みが改善しリハビリを終了できる。また痛みと心理社会的要因について説明をして納得できたとしても「分かっていてもなかなかできないんですよ」とあっけらかんとした様子の方もいる。このような方に対しては週1回程度の頻度でリハビリに通っていただき「痛みがあっても日常生活に支障がなく過ごせる」ところまで支援している。

 現場が救護施設になると精神疾患を抱えた入所者が多数いる。精神疾患を抱えるに至った背景は本当に様々で、遺伝的要因、学生時代のいじめ、うつ病、アルコール依存症、覚醒剤精神病など多岐に渡る。また脳卒中後遺症や糖尿病、循環器疾患、呼吸器疾患を合併している方も多くいる。現代で増えている重複障害に加えて、精神疾患も抱えている場合、基本的にポジティブに暮らしている方は多くない。精神疾患の主な症状は、抑うつ、不眠、不安、焦燥、妄想、幻覚、滅裂思考などがあり、これらの症状があると人はなかなか平常心ではいられなくなってしまう。このような方々も痛みの感覚があるので、この痛みを解決するためには慢性痛の知識が必要不可欠だ。

 現代を生きていく上で多くのストレスがあり、また多様性・ダイバーシティなどの言葉も多く聞かれるようになった。生きづらさを抱えている方に対してどのようなケアができるのかということを学ぶために東京藝大DOORプロジェクトを履修している。このプロジェクトでは、必修科目はダイバーシティ実践論、ケア原論のふたつ、選択科目ではアクセスデザイン基礎を選択し、多様な生きづらさを抱える当事者、生きづらさを抱える方を支援している専門家などを講師とした講義を受講している。

 病院やクリニック、介護施設、救護施設で既に多様な背景を抱えた方と接してきたつもりだったが、地域にはもっと多様な生きづらさを抱えている人がいるということを学び、またそのような方がどのような支援を求めているのかを知ることができた。

一般的な生活の行動範囲

 この図は一般的な生活の行動範囲を模式的に示した。社会人として働いていれば概ね行動範囲内に図示した機関・施設があり、行くこともあれば目にすることもあると思われる。しかしながら、小学生の校外学習で消防署に行く以外で消防署に行くことはほとんどの場合はないし、社会福祉施設は要介護高齢者等が親戚にいなければ行く機会はない。病院は家族皆健康であれば地域の診療所でこと足りるためいったことがない人もいるだろう。他にも大学に通っている人は専門学校に行く機会はないし、逆も然りである。よく目にするけど行ったことがない施設・機関というのも存在している。

 例えば子供の頃から病気を抱え、人生の大半を病院で過ごしている子供もいる。似たような状況で言うと福祉施設で過ごしている子供もいる。「公園でサッカーをしてみたい」「商業施設で買い物をしてみたい」という希望を持っている子供もいるかもしれない。携帯を持ったことがないという学生もおり「社会的擁護の子ども100人の「スマホ里親」になってもらえませんか?」(※)というクラウドファンディングのプロジェクトに寄付をしたことがある。就職氷河期世代では非正規労働者の割合が多いといった課題があり、厚生労働省が支援を行っている(※)。小学生で不登校になってしまったら校外学習でいくような消防署などの機関に行ったことがなかったり、中学生で不登校になれば修学旅行でいくような遊園地や観光地に行ったことがない子供もいる。社会人になっても正社員を経験したことがない非正規労働者がいたり、引きこもってしまうと企業に行ったことがなかったり、相当な期間美容室に行っていなかったり、郵便局に行っていなかったりもするだろう。このように子供時代を含めて体験格差(※)が生じると社会との隔たりを感じてしまいやすい。社会の流れから取り残されていると感じることもあるだろう。子供の貧困や体験格差は孤独・孤立(※)のきっかけになりうる。



 最近は生きづらさを抱える人にとっての「居場所づくり」(※)が増えているように感じる。アルコール依存症などの「当事者の会(ピアサポート)」(※)、介護予防分野での「通いの場」も重要視されていると感じる。とてもよい取り組みだと感じるが、どんな良い取り組みであってもその場所を必要としている方に情報が届かなくては当事者は救われない。どのように知らせるのか、繋げるのかという部分が大事でそれがまたとても難しいことなのだと再認識した。地域住民への周知や地域住民を適切な場所に繋げることは地域単位での横の繋がりが必要であると考えられるが、横のつながりをどのように深めていくかが現代の課題であると感じている。産官学民連携のように行政・医療機関・介護事業所・福祉事業所・学校・保育園・幼稚園・個人事業主・企業が横一列に繋がり、地域の課題を洗い出し、各施設・機関でできることを検討し、どのように連携し、どのように解決策を講じるのかを協議し、同じ方向を向いて支援を行うことが求められていると考えている。行政は市区町村単位のマクロ的な視点に特化している。医療機関は標榜科の医療に特化しているし、介護事業者は地域高齢者の支援に特化している。福祉事業所は障害者などの社会的弱者と言われるような方々の支援に特化している。個人商店は地域の繋がりに特化している。企業は地域に限らず業務に関わるマーケットに詳しいし、広報や販売など、企業同士の繋がりもある。学校や幼保施設は地域の児童・学童、学外研修施設などとの繋がりがある。


 地域の課題を共有し、同じ目線で対象をみることができれば、本当の意味での地域包括ケアシステムになり得ると考えている。また不登校や引きこもり当事者に対する支援として、学校や職場に行けない場合に、どこへ出向いていきやすいのかを模索し、美容室なのか、コンビニなのか、それとも卒園した保育園なのか小学校なのか、それとも憧れている企業なのかとか。それぞれの場所に合わせて学びを提供することもできるし、他機関などから講師を派遣して出張講座とか、はたまた就業体験や勉強スペースの貸し出しなどを通して多種多様な教育を提供することができるかもしれない。生きづらさを抱えた当事者は「みんなと同じように学べない・働けない」と後ろめたい気持ちでいたり、落ち込んでいたり、イライラしたり、心理的にネガティブな状態であることが予想される。様々な教育体験は前向きに生きる原動力としての意味を成すかも知れない。

具体的には、
・企業の会議室でターゲットを絞って企業説明会やワークショップを開催する
・個人商店で取引先との関係性や地域の歴史を学ぶ
・医療現場で成長期の怪我、生活習慣病などの身近な医療について学ぶ
・美容室で職業体験、美容師がどんな仕事なのか教える
・郵便局の1日を体験する
・休業日のクリニックのリハビリ室や企業の会議室やロビーなどを勉強スペースとして開放する
など学校で授業を受けるではなく、場所を変えて授業内容に関わることを学ぶ体験は生きていく上での好奇心をくすぐり、物事をポジティブに捉えるための第一歩になりえるかもしれない。

 決められた場所で、決められた時間、決められたことを遂行することに苦しさを感じる人もいるだろう。そういった価値観の人にも対応できるように地域の企業や機関・事業所が繋がり、一緒に支援・教育に携わることができれば地域の住みやすさが改善し、生きづらさの軽減につながるかもしれない。不特定多数の人が生きやすい地域づくりと同時に特定少数(マイノリティ)の人が生きやすい地域づくりを同時進行で整えていくことが住みやすい地域を促進させると考えている。居場所づくりや当事者の会、通いの場などはマイノリティを支援する上では重要な場所であり当事者にとっては安心感をもって通える場所であるが、閉ざされた空間になってしまいやすい。その場所から一歩出たらやっぱり生きづらいと感じてしまうようでは社会参加までの支援はなかなかできない。その場所の中でも外でも楽しく生活ができるような地域・空間を地域の横のつながりを軸に展開することができれば「マジョリティもマイノリティもいるのが当たり前」の地域に成長できるのではないかと考えている。

産官学民連携により地域に特化した社会的処方を展開する。

〜「社会で待ってる」ひとがいる〜

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