木曾路を落日が灼いていた。

木曾路を落日が灼いていた。
六月の荒々しい光は、御嶽の黒い肩口を滑って、その前面にひしめく山々の頂きを斜めに掠め、谷をへだてて東の空にそびえる木曽駒ヶ岳に突き刺さっていた。
だが谷の底を這う街道には、すでに力ない反射光が落ちかかるだけで、繁り合う樹の葉、道に押し出した巨大な岩かげのあたりは、もう暮色が漂いはじめている。
宮の越から木曾福島の宿に向って、ひとりの無職渡世姿の旅人が歩いていた。
(『帰郷』 藤沢周平)



仕事中、たまに息抜きに、藤沢周平の文章をパソコンやノートに書き写すことがある。写す度に、いったいどうすればこんな文章が書けるようになるのだろう、とため息が漏れる。
とくにすごいのが一行目だ。これがもしも「木曽街道を夕日が赤く染めていた」だったら、読者に残す印象はぜんぜん違うものになるはずだ。わずか一行の情景描写が、「無職渡世姿の旅人」の荒涼とした心象風景と過去、そしてこの先の男の運命を想起させ、読者を小説世界に惹き込む。
藤沢周平の生きていた時代に比べて、書店やネットには何万倍もの文章が溢れている。だが、この出だしの一行目のような文章を書ける人が、今の世に果たして何人いるだろうか。
ライターの業界も、分かりやすく、読みやすく、軽い文章が求められる傾向がある。人気のブロガーでこんな文章を書く人は、間違いなく一人もいない。しかしだからこそ、遠く及ばずとも、いつかこんな文章が書けるようになりたいと思う、中年ライターの昼飯時なのでありました。

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