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ロミジュリ(太陽の瞳風)

先ほど公開したイラストに付け忘れたのですがpixivで投稿した通りこの絵の正式なタイトルはロミジュリ(太陽の瞳風)です。

太陽が沈もうとしている夜が 唸りをあげて暴れている

心が釘打たれるような 傷みを感じている

何も失わぬようにと だからこんなに疲れている

僕はたった一人だ 僕は誰も知らない

誰も知らない僕がいる

イラストの最後のセリフは尾崎豊さんの太陽の瞳というこの歌詞のフレーズをパロったものです。晩年の歌でそれほど有名な曲かどうかは分からないのですが、この曲は辛い時に聞くととてもずしんときて泣きたくなる様な気持になります。私の大まるの恋は、大野君には幸せな恋ですが、まるちゃん荷はとても辛い恋、荷の重い恋かなと思うことがあります。なぜなら他人の目には私の方が大野君に相応しいとか、もっと美人で可愛い子ならたくさんいるのに…と映るからです。美男美女のカップルが見たいというのは大衆の心理なのでしょうか。それは無意識に抱く同調圧力の一種ではないでしょうか。
私は同調圧力という力が嫌いです。この同調圧力とういうものにどれだけの人が押しつぶされ、個人の自由を奪われるのでしょう。この圧力を善だというなら私は日本という国に多少なりとも失望の念を抱かざる得ません。どうやら作品の外の世界でもこの同調圧力が存在するようで、大野君にはもっと可愛くて優しい子がいいという意見を時々拝聴します。まぁ、その人たちは
原作やアニメの大野君しか知らないのでしょう(大野君のモデルはさくら先生の旦那さんという説があるのですがねぇ…)。私の描く自分の心に正直で純粋一直線(かつ女嫌い)の性格の大野君を知っていても、それでも大野君には他の女の子がいいというのでしょうか。
私は自分で描いたまるちゃんが不憫でなりません。大野君にまる子は嫌だという人も原作やアニメしか見ていない人ではあるのでしょうが、先述した美男美女妄想の趣味がある人なんでしょうね。言わせていただきますが、私はこれでも精一杯まるちゃんを可愛く描いたつもりです。私の少女漫画のバイブル『ときめきトゥナイト』のヒロイン・江藤蘭世をモデルにして、性格も恋人の大野君のためなら健気に一生懸命頑張る、真壁くんに対する蘭世のようなヒロインにしたんですけれど…。私の描いたまるちゃんより他のキャラクターの方に人気が集中してしまうんです。別に他人に気遣ってキャラをデザインしたつもりはないんですが、たまちゃんは頭が良かったらしいから知的な顔にしただけですし、城ケ崎さんは『ちびまる子ちゃん』という作品の№1美人だから、なりたい顔№1で勝ち気でカッコ良さそうな女優の北川景子さんをモデルに描いたんですが。自分が描いたまるちゃんを否定されると
私の大好きなヒロイン・江藤蘭世まで否定されているようで悲しい気持ちになります。まるで太陽の瞳の歌詞のように遣り切れないです。