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中森明菜のJAZZはJAZZたり得ているのか考えてみた

FBフレンドの投稿で、見事な復帰を果たした中森明菜さんのジャズアレンジの楽曲が、果たしてジャズと言えるかどうかという話題で盛り上がっていました

僕なりの見解を、自分なりに考え至ったとりあえずの結論として、愛すべき名曲たちを引きながらコメントさせていただいてましたが、それなりの分量になったので、まとめたものをnoteに加筆修正して転載することにしました

ご意見などいただけたなら多謝です😃

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ご紹介の選曲で、復帰した明菜さんの初めてをジャズとして聴いてみました


あくまで僕の私見でしかないですが、明菜さんのボーカルがジャズを感じさせない、年齢を重ねても長らく歌うことから遠ざかっていても、明菜さんは明菜さんでしかなく、それはそれで素晴らしいことですが、最近また人気を集めているジャズ喫茶で聴くと違和感が出るだろうなという感じはします

その大きな理由として、幾度か聴き直してみると、明菜さんのボーカルにはスウィングの感覚が全く感じられないことにあるとなります

古典的なジャズボーカルの名曲に、『スウィングしなけりゃ意味ないね』と邦題で呼び称される一曲があります

デューク・エリントンのピアノによる独奏が残されています
御大自らがお手本を見せてくれている貴重な映像なので、これをもってご紹介することにいたします

ボーカルのないピアノ独奏ですが、弾いているのがなにしろデューク・エリントンですので🙂

『スウィングしなけりゃ意味ないね』ってのは、こういうことなんだよと御大が教え諭してくれるような演奏です

ちなみに元モーニング娘。の加護亜依さんには、春風亭小朝師匠のアドバイスでジャズに挑戦した時期があります

ライブ映像が残っていますが、彼女のボーカルは明菜さんとは異なり、エリントン御大が教えてくれたスウィングの感覚が確かにあることがお分かりになるものとして記録されています

こちらが加護さんのジャズライブ動画ですが、確かにニワカとは思えぬほどの本格的なジャズになり得ています

『スウィングしなけりゃ意味ないね』という、端的にジャズの本質を教えてくれるタイトルに相応しい、明菜さんのボーカルにはないスウィングする感覚が加護亜依さんのボーカルから感じとれるライブです

こうして対比してみると、明菜さんがダメだというわけではなく、明菜さんはあくまで明菜さんでしかあり得ないという意味での肯定的な受け止めを僕はより強くしますね

更に話を進めさせていただきますが、かつて「スタンダード」と呼ばれていた一連のボーカル曲がアメリカのポピュラー音楽にはあります

フランク・シナトラがその代表格のジャンル(と言えるのかどうかは今はとりあえず問わないでおきます)で、ここでのシナトラはジャズ編成のバックバンドを背景にして、有名な彼の代表曲の一つである『ニューヨーク・ニューヨーク』を歌っていますが、これはジャズかと聞かれたならば、僕は即座に違うと答えることになるでしょう


一連の「スタンダード」の中でも、とりわけ僕が好きなのはナット・キング・コールなのですが、「黒人」の彼が歌ってもジャズかと言うと、僕は違うでしょうとお答えします

彼が歌う曲はすべてが素晴らしいのですが、多くの方が知っておられるだろうこの『L-O-V-E』を今一度お聴きになってみてください


ナット・キング・コールのボーカルは、音程が極めて安定して且つ正確で、それが聞き惚れるほどの快感になっているものの、同時にキレのよさを持つ彼の歌から本格的なスウィングは感じられません

何度聴いても素晴らしい曲であり、素晴らしいボーカルなんですけど、ここにはスウィングの感覚はそれほどないんです

先述したように、ナット・キング・コールのボーカルはおそろしく音程が正確で、一音一音歯切れよく発声して歌うところに大きな快感を感じるものですが、そこにはスウィングの感覚はまったくないとまでは言い難いものの、それでもその特徴的なボーカル故に、それをもってジャズとするとは僕には言えないのです

現在ではこの辺りの音楽は「スタンダード」ではなく、まとめてジャズと呼ばれていますね

しかしそれでもやっぱりジャズと呼ぶには座りが悪いと当のアメリカ人も感じるからか、かつてスタンダードと呼ばれた音楽のジャンルとして「グレート・アメリカン・ソングブック」という名称が使われてはいます

ただ、名称からしてあまりにもダサくて、その割には尊大に過ぎる印象を名付けたアメリカ人たちでさえ受けてしまうからなのか、このジャンル名が定着したとは言い難く、やっぱり相変わらずジャズと呼ばれることの方がずっと多いです


かつて訃報を伝えた記事で、評論家の中村とうようさんが最も素晴らしい白人ジャズボーカリストと絶賛したメル・トーメという人がいます

季節柄今ご紹介するのに躊躇いはあるのですが、なにしろ映像的に面白く、ジェントルマンのメルはあくまでジュディ・ガーランドの引き立て役に徹していますが、シルキーとしか言いようのない滑らかな声で彼が歌うと、それはたちまちジャズとなってしまいます

ジュディ・ガーランドにはスウィングの感覚がほとんどないので、彼女を引き立てているはずのメルのボーカルの魅力がより際立っているというところになかなか面白い見どころがある映像で、僕は毎年12月になると繰り返し視聴しています


「白人」のメル・トーメだからこそとも言える、彼が切り拓いていった「粋なジャズボーカル」の世界から、素晴らしいボーカリストたちが彼に続くかのように多く出ていきます

例えばジャッキー&ロイ
ピチカートの小西康陽さんが一時期CDで復刻されていました
小粋でお洒落な素晴らしいジャズです

ジャッキー&ロイと共に小西さんが復刻を手掛けたのが、男女三人からなるジャズボーカルグループであるランバート・ヘンドリクス&ロスです

このアルバムは間違いなく僕の愛聴盤の一つですが、やはりジャズとしか言えない音楽をとっても楽しく演っていますね

メル・トーメから始まる白人ジャズボーカルの系譜の最後に登場するのが、マンハッタン・トランスファーであると言っても過言ではないでしょう

ウェザー・リポートの有名な原曲よりも、ずっと楽しくて大ヒットしたナンバーが『バードランド』

誰しもがどこかで一度はお聴きになられたことがあるだろう名曲ですよね



加護さんの映像を観た投稿主さんから、下記のコメントをいただきました
(歌っている言語が英語と日本語という大きな違いがあるので、これをもってして加護亜依のほうがベター、ということはできないのではないかな、という気がしましたね。)


別に対決している訳ではないのですが、いただいたコメントに対する僕の返信は、ジャズをジャズたらしめるスウィングの説明を補足する意味で、ボサノヴァに話題が移っていきます

投稿主さん、例えばボサノヴァに不可欠なものって何かと言われたなら、僕はサウダージだとお答えします

サウダージの感覚があれば、どんな言葉でどの国の人が歌ってもボサノヴァになります

ボサノヴァカバーとして、一時期ヴィレッジバンガードあたりによく置かれていた各種のアルバムがありました

当時幾つか試聴しましたが、確かにボサノヴァっぽい演奏はしているものの、これは到底ボサノヴァではないなと思ったものです
なぜなら、そこにはサウダージの感覚がまったくなかったからです

小野リサさんが歌えば、それがすなわちボサノヴァになり得るのは、彼女にはサウダージの感覚が備わっているからに他なりません


ご存知の方も多いでしょうが、ボサノヴァは元々ジョアン・ジルベルトという一人の若き天才がアコギ一本で創造した音楽のジャンルです

先行してブラジル国内で人気だったサンバの影響が底流に流れていますが、サンバとは異なるまったく新しい感覚をボサノヴァは持っていました

それ故に、その後のブラジルの若きミュージシャンたちを虜にし、今なお世界中で愛されて続けてもいますが、傲慢なアメリカ人たちはボサノヴァはジャズの模倣であり亜流だと未だに考えています

ジョアン・ジルベルトが1964年に本格的な全米デビューアルバムを発表した際には、レコードを沢山売るための安易でバカバカしい方策として、ジャズミュージシャンでサックス奏者のスタン・ゲッツとの共作として製作されました

実はそれぞれがボサノヴァの名曲中の名曲である『デザフィナード』を演奏していますので、ジャズとは何かと考える際の謂わば副教材として、二人の演奏を並べてみますね


ジョアン・ジルベルトの、というよりも20世紀のポピュラー音楽の代表とも言いうる彼のデビューアルバムに収録された、僅か二分にも満たない曲にもかかわらずボサノヴァを代表すると断言できる元の一曲がこちらです

では、スタン・ゲッツは『デザフィナード』をどう演奏したか、それは果たしてボサノヴァと言えるのか?
原曲と聴き比べると明らかに違うことがわかります

スタン・ゲッツはサウダージの感覚を知りませんでしたし、共演したジョアンから学ぼうともしませんでした

だからこんな表現になります

ビレッジバンガードで試聴したボサノヴァ風のカバーアルバムと変わるところのない、BGMでも物足りないとしか感じないつまらない演奏で、一言凡作としか言えません

そして、なんと坂本龍一もまた『デザフィナード』の演奏を残しています

それほどの大名曲だということです

一時期、坂本さんはブラジルにしばらく滞在して、ボサノヴァを演っているミュージシャンたちとの親交を深め、元々クラシック畑の彼が関わることでなかなか面白くてモダンな印象を感じさせる「新しいボサノヴァ」をつくり上げました

2001年発表の『CASA』がそれですね

真面目かつ真摯に音楽を学び続けた坂本龍一は、当然ながらボサノヴァにおけるサウダージの感覚の決定的な重要性を知っています

故に決してストレートな形ではない『デザフィナード』のカバーであっても、ボサノヴァに不可欠のサウダージの息吹きを要所要所で聞き取ることもできる一曲となっていて、それもまた聴きどころの一つになり得ています

ボサノヴァにとっての背骨に値するのがサウダージであるのと同じで、ジャズにとっての背骨であるのがスウィングなのです

エリントン先生が示してくれたようにね

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