見出し画像

ビクのこと

最後の猫はごくありふれたキジトラで、老いて尚元気だったものの、大人猫に追われて家に飛び込んできたことから始まり、母が半年ほどかけて慣らすまでは「シャーシャー」が止まらなかったほどいつも怖がりだったからビクと名付けられ、離れて暮らしていた僕が帰ってもなかなか触らせてもらえなかったほどだった。

どんな怖いことがあったのか想像もつかないが、子猫の時から少し片足を引きずっており、しかし猫らしく器用に庭を闊歩するのを見るのは楽しみだった。

認知症がガクンと悪化し、諸々の理由で心理的な余裕がなかった僕が母にしたことが介護暴力と認定され、グループホームに移った家から母が居なくなり、最後の犬も僕が最初に逮捕勾留された真夏の三週間の間に衰弱が進み、よくしていただいた両方のお隣りさんの世話も甲斐なく傷心して帰宅したら程なくして死んでしまい、それからはビクとお互い寄り添うように生きてきた。

外から飛び込んできたのだから家の中に閉じ込めるのは難しい。
30年以上に渡って猫たちの玄関だった浴室の窓を使って自由に出入りしていた。
あまり触られるのを好まないのは変わらなかったけれど、冬寒くなると毎年布団の中に入ってきて、世間からの信用をほぼ一切失った僕の心を癒してくれた。
人間の寝相が悪いから、自分なりに工夫して暖かい場所を確保して。

二度目の逮捕拘留から収監を経て帰宅したのは一年を少し超え、ずっと前から用意していた水を飲まなくなっていたから「どこかで何かしら貰って食い繋いでいてくれれば」と、母の無事と共に猫が生きていることを毎晩祈った。

帰って10日ばかりすると、ビクが庭にひょっこり現れた。

最初は警戒してすぐに逃げたが、僕はビクが生きていてくれたことに心から安堵し、二日置いて次に姿を見せた時は変わらぬ愛情を持って接してくれ、寒くなってきたこともありまた猫と一緒に寝る日々が始まった。

前にも増して一人きりになったけれど、ビクはまったく以前と同じ。
僕を頼りにしてくれたし、そのことは収監以前と変わらぬ大きな喜びをもたらしてくれて僕の心の支えになった。

家を手離すことを諦めなかったのは、臆病な老猫に新しい住処は難しいとしか思えなかったから。
もう絶対に手放してはならないパートナーだった。

機会を逸して一度も新型コロナワクチンを接種しないまま、クリスマスの頃に罹患した。
猫にも感染することを何処かで読んだが、軽症の僕と比べ一日でげっそりと痩せてしまい、歯が丈夫でそこそこ満足して食べていたカリカリもまったく口にしなくなり、柔らかいものを選んで与えたがそれすら食べてくれない。

程なくして死ぬと思わざるを得ないほど弱っていたのに、夜になるとそれまでじっとうずくまったいた体で二階への階段をのろのろと登り寝室までやってきた。

そこまで信用されていることを改めて知り、涙が止まらない。
背骨の浮き出た体を摩って、液状の餌も寝室に持ってきたが、摩ってやることで多少安堵してくれたことは伝わってきたものの、既に餌を食べる気力はない。

それでも以降死ぬまでの三日間、寝室に行くといつもビクが待ってくれていた。
毎晩涙が止まらなかった。

早朝にベッドから降りて痙攣し始め、そこからすぐに死んでしまった。

母がこのタイミングでという日に死去した後に心の穴を埋めてくれた唯一のパートナーを失って、数ヶ月何も手につかず、焼き場に連れていくこともできず、死んだ時に入れた箱に死後硬直したままの遺体は一番冷える浴室に置き、毎日声をかけて撫でて過ごした。

犬のクマが死んだのは真夏で、数日もすると腐敗して屍肉を好む虫たちが寄ってきたから、お隣りさん方のサポートも借りながら焼き場まで持っていかざるを得なかったが、真冬の猫の遺体は傷みがあまり進まず、ロングコービットの症状の一つの特徴である強い倦怠感で動けなくなった僕を、死んでなお思いやってくれているように感じた。

立春が過ぎてさすがに家に安置するにも限界を感じ、ようやく焼き場に持って行くまで、そのようにして死んだような心と痛む体で生き延びた。

両親にも犬や猫にも罪深いことをしてしまった思いはまだ解消できていない。
そのことを思うと感情が溢れてコントロールできなくなる。

生前はもう少しきれいな模様ならなぁと心の中で声をかけながら見ていたが、どこにでもいるキジトラでよかったことに最近気づいた。

主にfacebookで提示してくる猫動画のほとんどはビクと同じキジトラで、あの子たちが元気でいてくれるから、最期に病に倒れる直前まで同じように元気だったビクを思い起こさせてくれるので。

写真は病の中にいたビクの「遺影」です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?