感受性と理性的

「人間は理性的な動物である」とアリストテレスは言った(らしい)
人間が唯一理性的な動物だったために地球上の支配者として進化をしてきた。
大雑把に言っても間違っていない

理性的であるから
安心なポジションを保てる
複雑なコミュニケーションが取れる
利益を追求できる
資源を豊かにできる

そして、理性的の反対は感情的である

感情的になると、
最善な判断を誤る
人間関係が悪化する
利益を損なう

感情的なことはあかん!理性的こそが最高で最高や!!


のはずなんだけど、
「理性的であることは、人を幸せにするのか」
と最近考える。

音楽、絵、劇などのあらゆる創作は、アーティストの感情から生まれる
その感情を発することで、観る人たちの感情を揺さぶり、喜怒哀楽が生まれ、人の人生を変えるようなとんでもないパワーを作り出す。

アーティストの創作(感情)を受け取るためには、感受性も重要なポイントで
同じ創作を見ても感じ取れる量が違う
これは嫁といると凄く感じる。

嫁は感受性がとても高い、私がこれまでの人生で会ってきた誰よりも
絵、歌、音楽、花を学び
嗅覚、聴覚に敏感で、絶対音感を持つ

私が住んでいる場所が展示会、ギャラリーが多く
たまに2人で見に行くことがある

私は「ふーん、、、なるほど、、(値段高いな、、)」とか思いながら1周すると興味が失ってしまう
嫁は目をバキバキにさせながら作品に食らいつき、館内にアーティストがいると話し込み、大体仲良くなる


今までに何度も起きた現象に
私は悲しみ、悔しさの感情を持つ

私は「感じ取れない人間」で創作、エンターテイメントを100%に感じ取れない、味わえない側の人間なのか。と

これは教養による差ではなく、生まれ持った感覚的なもので
これからも感じ取ることができないのではないかと


改めて自分について考えるみると
凄く理性的な性格か?と言われるとそうでもない、、
ここ数年でビジネスキャリアについて意識的な取り組んだけど、どちらかというとノリで生きるタイプ
では、感情的な性格かと聞かれると、いやそこまででは無い。。。

ひろゆきから「YESかNOで答えてください」
と言われても「分かりません」と答えてしまうぐらいの中途半端加減。

というか大体の人はそんな感じでは???

というのは、感情的になることが人間界、組織、村で生活することにおいて、デメリットの要素が多いので、大人になるにつれて理性的な行動と発言と考えを求めれらる。
つまり、成長過程で不要なものとして必要なものではないと理性的に判断される。
人生は選択と判断の連続になるので、
"上手に"生きていくためには感情的ではなく、理性的が圧倒的に良いとされる。

感受性豊かな人が羨ましいのか

※1段目の書き方だと「感情的=感受性高い」みたいな感じにも見えてしまうんだけど、イコールでは無いです。本記事の主題は理性的と感受性です

理性的になることが大人であるなら
感受性がない、弱いことを残念なことだと私が思っているんだろう
つまりは無いものねだり

感受性が高く豊かなに嫁に聞く
「感受性が高いことで嫌なことはあるか」
パッと返ってきた回答としては

  • 音に敏感になるので、大きい音、不快になる音を聞くと体調が悪くなる(だからフェスとかライブに誘えない)

  • 気が悪いところには立ち寄れない(スピリチュアル要素的な)

  • 一度考えると時間がかかる

  • 人の感情を受けやすいので、人間関係で悩むことが多い(これが一番辛い)


なるほど、感受性が良いことは悪い面もあると、
もう1つ質問をしてみた
「神様がそんなに辛いことあるなら感受性弱くしてあげるよ」
と提案してきたらどうすると?
回答は「NO」
理由としては、「嫌なことも受け取りやすいけど自分が好きだと感じているこの感覚、感情を無くしたくない」

俺が嫁の立場でも同じ回答すると思う

えー!やっぱ感受性ある方がいいじゃん!俺も高めたい!!

とまた思うわけなんです

そこで調べてみました

「感受性 高め方」

「始終、怠ることなく立派な芸術をみることだな。そして感じるということを学ぶんだ。立派な芸術は、正しく豊かに感じることをいつでも教えている。先ず無条件に感動することだ。ゴッホの絵だとかモーツアルトの音楽に、理屈なしにね。頭で考えないでごく素直に感動するんだ。その芸術から受ける何ともいいようのない解らないものを感じ、感動する。そして沈黙する。その沈黙に耐えるには、その作品に強い愛情がなくちゃいけない。」 

『生きること 生かされること 兄小林秀雄の心情』(著者:高見澤潤子 海竜社)

人間は心の底から感心し、感動しなければよいものは創れないし、よい考えもおこらないと思う。精神的な心の才能というか、柔軟的な心、素直さ、愛情、謙遜、尊敬、兄のよくいう無私など、こういうものも才能といえるならば、批評家のみならず、人間にとって必須の才能である。

『生きること 生かされること 兄小林秀雄の心情』(著者:高見澤潤子 海竜社)

素直が重要なポイントらしい、なるほど確かに

  • この絵は有名な〇〇が描いた絵

  • 〇〇円の価値がある

  • 〇〇年代の貴重なもの

不要な情報、色眼鏡があるから作品そのままを受け取れないん、感受できないんだと、素直な気持ちで受け入れろと


「素直なこと」はハードルが高い

よく人間関係、ビジネスマンに必須スキルの項目に
「素直なこと」が挙げられているのを目にします

私自身も同意で
円滑な人間関係の構築、スキルの上達のために素直さは武器です

そして、素直なこと は資格、能力ではなく心の持ち様なので、
つまりは誰にでもできることで
「まだ偏屈で疲弊しているの?」と高知の山奥から煽られそうなぐらい、
素直でいないことは損!今日から素直な人間で生きよう!!
と自己啓発する本とツイートで溢れています。

しかし、私は「素直」はめちゃくちゃハードルが高い、身につけることが容易ではないと考えます。


今の時代は情報化時代とも言われるだけあって、情報が溢れて返って、情報が大渋滞の大洪水。
情報はスマホや街の広告から絶えず流れ
無意識に思考、行動に反映されています

口コミがないとモノが買えない
写真(情報)が撮影できないと旅行の意味がない

情報のシャブ漬け状態にされた私たちが
作品を素直な状態で受けめることができるのか

  • この絵は有名な〇〇が描いた絵

  • 〇〇円の価値がある

  • 〇〇年代の貴重なもの

この情報があるから
「これは価値のある作品」=「良い作品」
だと感受できる


やっぱめっちゃ大変ですやん
…そもそも
「素直な感受性を持って」作品を観る喜びと
「情報が与えた」作品を観る喜び

って違うんだろうか



作品を観る喜びの質はあるのか


結論だけ先に書くと


私は分かりませんでした!!!


くそまとめサイトみたいな感じになって申し訳ないんです
(セクションの冒頭に書くだけの素直さだけは認めてください)


これは分からない
そもそも感受性がない私がこの差について語れること、考えた先には何もなかったと言いますか、ずっとなぜ?Why??がループして、金田一少年の事件簿の主題歌状態だったんです

1つ結論出すとすれば
「感受性あった方が人生より楽しめそうだから素直に生きる!」


以上です。

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