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英語は話せない時のほうが方が楽しい件。

 英語ができるってなんかかっこいい。中学の時にふとそういうことを感じました。他の教科は全然だけど、英語ならなんかできるやつ、みたいな。塾にも行かず、授業を真面目に受けているわけではないのに、なぜか英語はできるやつ、みたいな。でも、まあそんなにうまくはいきません。

 本格的に英語を勉強したいと思ったのは、大学に入ってから。結局、1年間休学してカナダに行き、それなりに英語を話すことができるようになったのですが。
 今と昔を比べても、楽しさでいったら、英語が全然話せないときの方が楽しかったなと感じます。特に留学中の、英語が話せない時の方が楽しかったです。


恥じらいがなく話せる。

 英語を話せない時というのは、相手が言うことを聞き取れない、自分が言いたいことを伝えられない、という状況が普通です。自分が話している文法が正解なのか、不正解なのか一切もわかりません。ただただ伝えようとして、知っている単語をひたすら発するだけです。

 ここは、英語力というよりは、その人の性格次第となってしまうかもしれませんが、周りからどう見られているかなんて気にしたら負けです。間違いも、話さないと書かないと見つかりません。

 What is your name?とメキシコ人に流暢な発音で聞かれた日本人の友達。
 流暢な発音すぎて、聞き取れなかったのでしょうか。多分こういうことを聞かれているんだな、と予想して、
 Maybe, Maybe,  hmmm, maybe I am Shingo…
みたいな感じで答えた友達がいました。
メキシコ人はすかさず、お前自分の名前もわかんないのかよ、何だよメイビーってwwってな感じで煽ってきました。そこから、彼を呼ぶときにはMaybeもセットでメイビーシンゴとなったのです。

 その後、至るところでメイビーが流行ってしまいました。
 宿題ちゃんとやった? Yea Maybe
 今夜飲みにいかない? Yea Maybe
 How are you? Yea Maybe なんて最終的には、なんの会話もならない感じでした。

 ここまでMaybeが流行った理由としては、誰一人としてMaybe以外を知らなかったんです。さすがに2週間ほどMaybeだけで過ごすと飽きがきます。いやいや、それMaybeじゃねーから!それ、絶対だから。とツッコミたくなってしまいます。
 そこでようやく覚えたのがAbsolutely。
 -Let's go for a drink!! 
      -Yea, Maybe
   -Not maybe, Absolutely we must go.
的な感じです。
 すると、ProbablyやらRarelyやらOccasionallyやら、どんどん語彙を増やそうとしていきました。人種もノリも違う人たちが詰め込まれたのに、こんなムーブメントが起きたことに感激しました。

 こんな感じで英語を学ぶことは、最初からアドバンスレベルに入るような、日本でも英語を勉強していた人には味合うことのできない楽しみ方だったなと思います。彼らからしては、なんてくだらないことやっているんだ。と思われたでしょうが、私達にとっては、ないといけないステップでしたし、言葉を覚える上でとっても楽しいプロセスでした。


工夫をして話さざるをえない。

 英語が話せない時は、なにより語彙数が少ないです。Maybeの話ではないですが、圧倒的に知っている単語が少ないんです。伝えたいのに、伝える言葉を知らないときにどうするかというと、似たような言葉を探して取り敢えず使ってみます。

 印象的だったのは、飲みすぎて吐いちゃったよ、の「吐く」という単語をしらなかった友人が発した言葉。
 I was Merlion。 ー俺マーライオンだったよ。
どばどばって口から水をだすようなジェスチャーと一緒に必死に伝えようと努力した結果、マーライオンでした。意味を汲み取れない人はぽかんとしていましたが、先生には伝わったのか、すごい爆笑してもらえてました。

 他にも、飲みの席で、酔っ払って全然話を聞いてない人に向けて、No signal(圏外だ)といってみたりしても伝わります。というよりも結構うけました。こっちとしたら、必死に絞り出した単語なんですが、英語のレベルが高い人からすると、そんな表現の仕方あったのかよ!て感じで。


学ぶことの楽しさ。

 英語がどんどん話せるようになっていくと、「吐く」なんて言葉も当然のように口から出ますし、Maybeだけに頼る場面も圧倒的に少なくなります。英語を話すことが目的ではなく、英語を話すという手段にどんどん変化していくことに気づくタイミングがあります。それ以降は、自分の考えや意見をただ、英語で主張する。当然日本語で話せないことは英語でも話せません。
 細かな言い回しだったり表現の仕方など、新たに学ぶことは連続します。その都度、レベルアップした気になり、学ぶことは楽しいんですが。。「Maybe」のムーブメントを超えるような衝撃はありません。

 英語ができないからこそ感じた「学ぶことの楽しさ」と、「人種を超える共感性」だったかなあと振り返ると思います。そんな体験を、一人でも多くの方にも経験してもらえれば、と思います。


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