人間が好きで人間が嫌いだ

昔からずっと人に興味がある。その人とコミュニケーションを取った際にこちらが抱く違和感を掘り下げたくなる。その上で、その人を好きになったり嫌いになったりする。

この人はどうしていつもニコニコしてるんだろう?とか
この人はどうしていつも嫌な事を言うんだろう?とか

いつもニコニコしてる人を嫌いになる事はあまり無い。いつも嫌な事言う人を好きになる事はたまにある。こちらが抱いた違和感には、ちゃんと理由がある。その人が向き合ってきた困難が浮き彫りになる。向き合いきれない事だってきっとある。人に向かって「自分と向き合え」なんて事はとても言えない。あまりにも酷すぎるからだ。見守るしかないし、他人が手出しできる範囲では無い。僕は何も言わない。

強がっていて弱い人もいれば、弱そうに見えて強い人だっている。
僕は弱い人は好きだ。強い人も好きだ。どちらでも良い。自分の弱さを、強さをちゃんと分かってる人が好きだ。

もうちょっと具体的な話をしたいと思う。ここ3年くらいはコロナで気持ちが塞ぎ込んでいた。コロナにかかりたくなさすぎて飲み会も遊びも断る事が多かった。そして人と話すのがどんどん億劫になっていった。自分は人が嫌いで、コミュニケーションを取るのが苦手な人間と思い込んでしまった。
実際は、人が嫌いだし人が好きで、コミュニケーションが苦手というよりは、苦手な状況があるというだけだった。元々大勢での飲み会などは苦手意識があったけど、その機会がコロナ禍によってほぼ無くなり、たまにあったとしても避けるようになってしまった。大勢での飲み会は大体「そこにいるみんな何となく楽しい」を目指すゲームになりがちだ。僕はそのゲームにめっぽう向いていない。こればっかりはどうにもならない。
それよりも僕は人の考えを聞くのが好きだった。一人の経験、経験から得た知見、哲学を掘り下げて聞くのが好きなのだ。表層的には見えていない部分をもっと見てみたくなる。それが、その人の向き合ってきた事だから。ものすごい困難、大変辛い事、覚えた痛み。痛みを知っている人はとても魅力的に見える。

どうにもならない、如何ともしがたい事を乗り越えるのか、受け入れるのか、諦めるのか。どの選択をしたとしても僕はその人の事を尊敬すると思う。人と話す時、端的には「どうしたいの?」という事を聞いている。文字にすると詰めてるみたいになっちゃうけど。どうしたいか分かったら、協力できるところは協力する、というだけ。

人間嫌いだと思っていたけど、そんな事無かったなという雑記でした。嫌いな人は嫌いで、好きな人は好き、というだけの話。
だんだん話の着地点が見えなくなってきたので今日はここまで。おやすみなさい

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