期待に応えたいのは認められたいから
今日で100日連続のnoteです!
おめでたいのに、なんだか気持ちが沈んでいる。理由は分かってます。
あれもこれもと、仕事を引き受けた歪みが出てきたから。
頼まれると、
「はい、喜んで!」
と答えてしまいます。
でも、寝ても覚めても〆切に追われて、ガチガチに固まって身動きがとれないのはシンドイんだな。
そうだ。私は誰にも縛られずに自由でいたいところがあったんだ。と今さらながら気づいたわけです。
公務員時代、誰にも望まれていないのに、土日のどちらか出勤してました。仕事が終わらなかったんです。終わらなかったら、上司に相談すればいい。
でも、私は脳筋野郎だし、プライドが高い人間だったから、周りに頼れなかった。
自分のことは自分でやらねばと。
だから、1人ブラック行動を続けていました。
すると、自分の自由時間が減って、さらにメンタルダウンに。
でも、私がやらなきゃ…と歯を食いしばってたわけです。
給料は我慢料だと思い込んでたし、苦労をしないとお金はもらえないと思ってたから。
自分で苦労を背負い込んで、その対価として給料をもらうのが普通なんだと信じ込んでいた。
仕事は楽しくするもんじゃない。
苦労するもんだと。
思考は現実化するから、苦しくて、ツラい状況がどんどん量産されたわけです。
軽やかに働いて「あれ?こんなにお金が入ってきたー」っていう世界線でもいいのにね。
なんとも不器用だな。
そして、認められたがり。
たとえ、誰かが認めてなくてもいいじゃない。
いい加減、腑に落とそうよと思うわけです。
それなのに、
「いやいや、自分なんてまだまだッス。
全然できてないッス」
と昭和の体育会系上等が出てくる。
自分で自分を認めればいいじゃん。
その指針を他人に委ねるのは、怖いことだよと、もう1人の自分が言う。
クライアントさんによっては
「修正なしです!完璧です!」
と言ってくれる方もいれば、
めちゃくちゃ赤だらけのときもある。
でも、それって場所によって求められるものが違うから致し方ないよね。
歴の長いライターさんだって赤字が入るわけだし、自分が得意な領域で成果を出すのだって正解なのだ。
外部の評価から、自己の価値を決めるってなんか違うなと、違和感をもっています。
だからと言って、傲慢に突き返せというわけではない。
もちろん価値提供はできる限りするけど、摩耗するほどするべきではない。
程度の問題なのかな。
認められたいがために、たくさんの案件を請け負ったり、赤字が少ないように時間をかけ過ぎるのも違うのかなと。
量で本人の価値が決めるわけではない。
それでも、量をこなして、早くスケールしたい。違う世界を見たいと願う。
だから、余計に焦るのだ。
違う世界ってどこだろう。
でも、自分の向き合い方は自分がよく分かっている。
自分のストイックさを1番近くで、見てるよ。
よくやってるね。
でも、苦しくなってない?
なんだか心臓がドクドクしてるよね。
睡眠を削るから頭が冴えないよね。
それもこれも、質の高い記事を書きたいからなんだよね。妥協したくないのも分かる。
早くスケールしたいんだよね。
安心できる金額を稼ぎたいんだよね。
でも、あれもこれもチャレンジできるのは、健康に生きてるからできること。この地球で生きてるから経験できること。
毎日起きられるのは当たり前ではない。
家族が元気でいるのは普通ではない。
住む家や友達、当たり前の連絡手段があることも。
全部全部、奇跡なんだ。
全部全部、ありがとうなんだ。
だから、私は今の状況に感謝しよう。
睡眠削ってもできないなら、納期の相談をしてもいい。これで切られたら、ご縁はそれまでなんだ。
でも、この命が続く限り、チャレンジできる場は何回でも平等に回ってくる。
認められたくなったら、自分で認めてしまおう。だって、1番知ってるのは自分だから。
それで、チャラにしよう。
ぎゅっと抱きしめてあげて、よくやってるねと子どもに言うように労ってあげる。
それが結局は、1番の近道だった。
気づけてよかった。
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