母との日常こそ大切にしたい
宇都宮に帰ってきてから、雨が続いている。
冷え込んだ空気は3月とは思えないほどで、体の熱を奪っていく。例年なら開花を始める桜のつぼみも、まだまだ固く閉ざしたままだ。
昨日のこと。朝から雨が降っていた。
午後に、買い物に出かけようと考え、母に提案してみた。
「車でスーパーに行くけど、一緒に乗っていく?」
すると母は
「じゃあ、お願いするわ」と言った。
母は免許を持っていない。
なので、雨の日は歩いて買い物に出かけている。スーパーまで歩いて10〜15分だろうか。
しかし、私と子どもたち3人が帰省してから、結構な量を買い出しに行かねばならないのを知っていた。
そのため、母に伝えてみたのだ。
母は意外と遠慮がちな人だ。
子どもにお願いするのは、最低限。
雨が降っていなければ、どこでも自転車で出かける。
毎日1時間のウォーキングを10年以上続けているので、脚力には自信があるのだろう。
ちなみに母は速すぎて、私は一緒に歩けないほど。
そんな母から頼られるのが、実は好きだったりする。
しかも、2人で時間を過ごしたり、出かけたりするなら尚更。
いつも買い出しに行くスーパーへ着くと、母は一目散に店内に入っていった。後ろも振り返らず、颯爽と。
私は同じ店舗内に併設されている、衣料品店に向かう。
東京で衣料品を買うときは、いつも夫と子供たちを待たせているので、「早く戻らなくては……」という気持ちで焦っている。
そのため、吟味することなく直感頼りに購入せざるをえない。「とりあえず買いました感」がぬぐえない服に囲まれているのは、なんとも切ない。
しかし、今日は待たせる人がいない。
子どもたちは家にいたから。
コーディネートを考えながら、順繰りに各列を覗いていく。良さそうな服を体にあてて、鏡でチェックする。
最近は人に会ったり、出かけたりすることも増えた。そんなときは、お気に入りの洋服に身を包むと、喜びが倍増されるのを知っている。
だから、ショッピングは楽しい。
根源的な喜びを思い出しながら、黙々と洋服を眺めて、いくつかをピックアップして試着室へ。
店内に戻ると、買い物を終えた母が来ていた。
しかし、昨日は違った。
私の試着の様子を見て、
「サイズが合ってないんじゃない?違うサイズを持ってくるから、場所を教えて」と言って、サイズ違いの商品を持ってきてくれた。
「その色似合うね」
「そのシャツはどこにあったの?」
「子どもたちの服は買わなくて大丈夫?」
そんな言葉をかけてくれた。
母は優しさの塊のような人なのだ。
そして、思い出した。
そんなたわいもない時間。
でも、私にとっては特別な時間。
そんな過去の時間と重なった。
衣料品店での滞在は、時間にして1時間だった。
父の介護を始めて、今年で9年目。
たまには母を旅行に連れていきたいと提案もしたけど、父のことを考えると離れられないと断られた。
理解はしてたけど、やっぱりショックだった。
母に非日常や自然、知らない日本を堪能させてあげたかった。
でも、今回近所でのありきたりな時間を過ごして思った。もしかしたら、こうしたささやかな日常で母は十分なのかもしれない。
母にとっては家族が元気で、住む家もある今が幸せなのだろう。
こうやって生きているだけで幸せ。
そんな母の中にある、揺るぎない根幹を見せてもらった気がする。
家から車で5分のいつものスーパー
当たり前がどんなに尊いのか母から改めて教わりました。
お母さん、いつも気づきをありがとう。
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