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飢餓海峡巡礼、天売、焼尻。2023/6/26

いままでふんわりと宿のチェックアウト10時までのんびりくつろいできていた今回の旅だが、ここはしっかり朝起きをせねばならぬ。
乗らねばならないのは、沿岸バス特急はぼろ号。下りは朝8時発のこの便を確保しなければ次は13時。羽幌から島までいこうものなら始発の8時マストなのはおわかりいただけよう。
北海道新幹線工事着工のために取り壊される札幌駅前ターミナル。これだけの規模なら、移転地に再構築したのち旧施設を解体する、のがセオリーだと思うが、その移転地が特にない。札幌周辺の路面散らばせておしまい、と。
なにかが起きないはずはない。パス停がはるかかなたになったうえ、券売・案内所もあさっての方向へ移動している。距離を乗ろうと思ったらどのみち小銭では足りない北海道の幹線バス。10月からをどう乗り切るのだろう。

さておき、ダイヤ上8時出発のところ、7時半にはターミナルに到着していなければ心配というものである。札幌駅から徒歩10分弱のホステルがこれをリーズナブルに実現させた。
沿岸バスの券売所にはすでに4~5名のお客が並んでいる。これから指定をとる者、旅行プランニングから相談しだすもの、いろいろである。

東京から電話で予約してあった特急はぼろ号は前列左端に席が確保されていた。
そりゃ叶うものならバカ席がいい。とまれバスはターミナルを滑り出した。

苗穂駅直結のタワマン、ああペロスケがいいねっていってたのコレかと思いおこしながら通り過ぎる。札幌インターから道央自動車道へ。

1時間ほどで砂川SAへ。

砂川SAのガチャガチャを回したらこんなポーチが。苦い思い出の、トワイライトエクスプレス。


砂川SAからほどなくして、深川ジャンクション。深川留萌自動車道へ。
いまとなっては深川―石狩沼田を残すのみとなった留萌本線(跡)とぼちぼち併走するかたちになる。
自分の学生時代、札沼線はすでに新十津川が終着となっていたから(日に3往復しかない新十津川止まり、そこから滝川まで歩いてつなぎ旅を続けるのが「定番」だった)、「終着」としての石狩沼田をみるならもうこれがラストチャンスなんだろう、とぼんやり思う。数百メートル先にまで、深川留萌自動車道は迫るものの目視まではできなかった。

留萌インターを降りる。

同乗の女性客が羽幌着を目の前にして「自分は宿に荷物を置いてくるから、フェリーターミナルまでの連絡バス、それまで待っていてほしい」と乗務員に主張してくる。どうやら、島へは日帰りで遊びにいくが、泊りは羽幌の宿なので、泊り用の荷物ごと船に乗りたくない。そういうことのようだった。
羽幌バスターミナルへは1109着。沿岸バス本社ターミナルへは街なかをまわりながら1112着。連絡バスはその本社ターミナルを1120発である。
連絡する高速船の出航が1140なのでからタイトで無駄のないダイヤといってよい。むろん特急はぼろ号自体がなにかのアクシデントで到着遅延するなら連絡バスも待とうが(さらにはフェリーターミナルへその情報もいくだろう)、いち乗客の私用のために公共交通機関が待つ、ということちょっと想像できない。
泊りの宿の場所はわからないが、荷物を預かってくれというやりとりだけでも数分はかかろうし、自分が仮にそういう行程を組んだなら連絡バスは諦めて事前にタクシーを手配し、宿へ寄ってそのまま港に向かえるかタクシー会社と相談するだろう。それすらも間に合う保証はないのだから、羽幌のフェリーターミナル、ないし着いた島での船客待合所で荷物を預かってもらう。コインロッカーなり手荷物預かりサービスがないなら、荷物を抱えて観光するしかなかろう。いまの時季の最終上り便、天売1550発、焼尻1615発なのだから島での滞在時間、そもそも3時間前後しかないのだ。
言葉数少なに乗務員もムリゲーの意をつたえるも聞く耳をもたない彼女は結局、羽幌バスターミナルでふんぜんと降りていった。連絡バスにその姿はなかった。下人の行方は、誰も知らない。

焼尻を経て、天売着いたのが12半過ぎ。港には今日の宿、ゲストハウス天宇礼の主が待っていた。そのまま歩きで移動するので、宿は港から近く海抜もそんなにない、はず、と合点する。
あっという間に投宿する。このあとの予定を聞かれたので、レンタサイクルを借りてぶらぶらと、と答えると、晩にウトウの帰巣見学ツアーがある。自転車借りて丘にあがれば途中に海の宇宙館というのがあるからそこで予約できる。自分もガイドをつとめている。と、強く勧められる。
そうか、と思って予約をしにいった。今日はお客さん多くて、マイクロバスの補助席しか用意できないがよいかとのこと、10分やそこらの移動になにも気にならないから「では」とお願いした。2千円、と現地参加ツアーとしても高価ではない。

キリスト看板、ここまで貼りにくるのがすごい。たしか本拠地が宮城県なのでまあ北方といえば北方だが

あとは勝手気ままに島内をチャリでまわる。南大東島と同じく電動アシスト車があって、坂も軽々とのぼる。展望台ですれ違った、徒歩のお年寄集団が「あらいいわね」と注目する。

天売高校は定時制高校というが、完全に夜だけというわけでもなさそうで教員らの姿があった。単位制高校的な運用がされているのだろうか。
「離島留学」を振興策としてもってくる自治体は少なくないが、ここはホームステイでなく寮まで備えていることに目をみはる。学校がひとつあるだけで、単に学生の頭数だけでなく教職員とその家族、納品業者までが動くことを考えれば寮のひとつやふたつと思えるかもだが、それを確保するのには労力もかかることだろう。

ritokeiが壁に貼られていたのでつい御蔵を探してしまう。

島の小中学校の目印といえばなんといっても信号機だ。青すすめ、赤とまれの練習用にあるのだが、実用性はないから却って「無意味」と学習しやしないだろうかといつも気になる。警察で予算がつくからおいとこ、以上でも以下でもない。

ウミネコは昼間でもアホほどおる。名前に「海」とついているにもかかわらず、水に潜ってエサを獲ることはできないらしい。

広島の厳島神社の分祀がある。岩内のこんぴらさんといい、やはり海につながる神である。

フェリー乗り場のほうに大きい漁船はあって、漁港にはちいさい船しかない。出荷することを考えてもあちらのほうが便がよい。避難港として整備されたものか。

チャリ4時間で島内一周たっぷりみてまわれた。
ナイトツアーは19時前に迎えがくるという。それに合わせて宿の夕食も18時頃に。シャワーで汗を流したところでホッケの煮つけなどをいただく。
同宿者は4名、ひとり旅のおじいさん2人。ドミではなく個室に泊まっている年配ご夫婦。みな野鳥観察に来島した。というより鳥目当てでなく、6月にこの島へやってきた無目的野郎はおそらく自分だけなことにここへ至って気づく。せんにすれ違ったお年寄集団も、そういえばみな高そうなカメラをもっていた。

夕食を摂りに宿へ戻る。簡易水洗のお手洗いをひさしぶりにみた。合併浄化槽が普及したいまでは見かけることも少なくなった。北海道中を旅して歩いた学生時代を思い出す。

19時過ぎのナイトツアーは日没からはじまった。高緯度の夏至ならではである。

ウトウは海に潜ってのエサ獲りに適応すべく、比重が重く締まった躯体になったらしい。水鳥にありがちなどんくさい感じがないのがいい。ぽけーっとしたウミネコもそれはそれなりの味ではあるのだが。

島に一台というマイクロバスで20時過ぎ、宿に戻る。
ハンドルを握るのは島で一番(とはゲストハウスの主から聞いた)の旅館のオーナーで、送迎の間もしきりに「ここから島の繁華街です……はい、ここでおしまいです」「天売には床屋が二軒もあるんですよ。焼尻にはないからみんな漁船でこっちきて刈ってるんですよ」「小中学校の前の信号、ボタン式だけどこどもたちもみんな飽きちゃってるから押さない。赤になっているのをみかけたらその日はツイてるって話」等々、軽快なトークを繰り広げる。島だと観光業といっても特にそのへん考えない人も多いから、なかなか稀なサービス精神ないしは、根っからのしゃべり好きなのだろう。

帰宿後、ドミ同室のおじいさんふたりと居間で顔を合わす。「今日が80歳の誕生日なんです」との由。お祝いに日本酒の盃を一杯いただく。体温があがると寝つけなくなるのでほんのちょっと、なめるだけ。

〈続〉


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