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最終ステージは幼な子。無邪気は無敵。

「おなかのすくさんぽ」(かたやまけん/作 福音館書店)

こんにちは。
昨日は七夕でしたね。
ホントは七夕や星に関する絵本を選ぼうと思ったのですが、本棚を眺めていたら一冊の本が妙に自己主張しておりまして…。

そうそう、この絵本も夏の本だな…元気が出るよねー…と(絵本と)折り合いがつきまして(笑)本日は日本で大人気の絵本作家・片山健さんの「おなかのすくさんぽ」(福音館書店)をお届けしようと思います。


突然ですが…
哲学者ニーチェは、著書『ツァラトゥストラかく語りき』の中で、精神の「三段変化」における、人生の最終段階である幼な子について次のように書いています。

〈幼な子は無垢である。忘却である。そしてひとつの新しいはじまりである。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの第一運動。ひとつの聖なる肯定である。〉

そして、ニーチェは人生における精神の最終ステージは幼な子のようであれ…とおっしゃっている。

片山健さんの絵本を開くと、このニーチェの言葉が浮かぶのです。
片山健さんの描く子どもは、どの子もパワフルで無垢で創造的。
あまねく人が幼児であった体験を持っているのですが、(かなしいかな)忘れちゃってる。
それを、もう一度取り戻そう!というわけ。

〈ぼくが まっしろい シャツを きて あるいていたら、どうぶつたちが みずたまりで あそんでいました。 「い、れ、て」 と ぼくは いいました。
だけど みんな「ウー」なんていって みずを バチャ バチャ いわせるばかり。
それなら ぼくだって バチャ バチャ バチャン、バチャン バチャン。〉

おなかがすくさんぽ①

健康的な男の子がどうぶつたちにすんなり溶け込んでいく。
どうぶつたちも、警戒せず当然のように受け入れる。
どうぶつと幼児に共通するのは、過去と未来はなく、あるのは今という瞬間だけ…ということかも。


平安時代、後白河院が編纂した今様集『梁塵秘抄』に有名な一首があります。
〈遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ〉

どんな意味かともうしますと…

〈遊んでる子どもを見ているとおもうよ。 ああそうか、きみたちは遊びたくて生まれてきたんだね。 ふざけたりイタズラするのが楽しくて生まれてきたんだね。 きみたちの無邪気で楽しそうな笑い声を聞くと、わたしまで体の底からワクワクが湧き上がってくる。 人の体は正直なんだよね。人は遊んだり、楽しみを味わうために生まれてきたのかもしれない。〉

…と、こんな具合でしょうか。

ニーチェと梁塵秘抄。 底に流れている思想は似ているように感じます。

さて。話を片山健さんの絵本に戻しましょう。

「おなかのすくさんぽ」は、ちょっと見、ズボンが丸く膨らんでいてオムツをしていそうな男の子が主人公(推定3歳)。

散歩の途中で出会ったたくさんの動物たちと遊ぶうち、穴に入ったり、山をのぼったり、洞窟を探検したりと、散歩がエスカレートしていく。
どろどろのびちゃびちゃになりながら進んでいくうちに、野生の感覚を取り戻していく(幼児は取り戻すのがはやいでしょうねー)。

おなかがすくさんぽ②

〈あんまり ゆかいだったので おもいっきり ほえたくなりました。ワ-オ ワ-オ ブギャー、ギャーオ ギャーオ クアー。そうして いち、にい、のお、さんで、 さかみちを ごろごろ ころげおちました。〉

そのあと、みんなで川に入ってぷっかり浮かんで休憩するんですが、そのうち、お腹がすいてきた熊が言いました。

〈「なんだか きみは おいしそうだねぇ。 ちょっとだけ なめて いーい?」
「ほんとうに なめるだけだよ」と ぼくは いいました。
くまは ペロリと いっかい なめました。 それから ペロ ペロ ペロっと さんかい なめると すばやく もう いっかい なめました。〉

おなかがすくさんぽ③

絵本を聞いている子どもは、この辺で「あぶない!」と、胸がどきどきするでしょう。
冒険には危険がつきものですからねー(笑)。

でも、主人公の幼児は気にしていません。 みんなのおなかがグーっと鳴り、遊んだからお腹がすいたと気づき、男の子も「ぼくも おなかが ぺっこぺこ」 「おなかが なくから かーえろ」と言いながら、みんな、それぞれの住処(家)に戻っていくのです。

子ども本のあるべき姿である「ゆきてかえりし物語」であります。

片山健さんの作品にはこの男の子らしき子(とても似ている!)が登場する絵本がもう一冊あります。こちらも、ただただ無邪気でパワフル!

そして、幼児期の女の子が主人公の「コッコさん」のシリーズもあります。

※シリーズの中では個人的に「だーれもいないだーれもいない」がスキです。


「コッコさん」は女の子だけあって、その無邪気さの描かれ方が「動」ではなくて「静」であるように感じ…。
どちらも大人が読むと、妙な懐かしささと憧れのようなものを感じると思います。

片山健さんのインタビュー記事を読むと、子ども時代の思い出として片山さんは
〈私が眠っていると四つにたたまれたふとんが、窓から夜空にゆっくり抜け出てどこか遠くを飛んできて、また窓から帰ってくるという夢をくりかえしみていたのをおぼえている。〉と語られています。

現在80歳の片山健さん。夢の内容まで憶えていらっしゃるとは、やはりタダモノではありませんねー。

絵本のアイデアはいつ、どこから?との問いに対し、
〈どんな「ところ」も、どんな「とき」もまったくあてになりません。
ひとつだけいえるのは、待ちつづけるしかないということ。 待っていると主人公とアイデアは一緒にやってくる。〉
と答えていらっしゃいます。

絵本作家は子どもの心を忘れていない方が多いのですが、片山健さんはきっと、「忘れていない」んじゃなくて、「再び、戻ってこられた人」なのかもなぁ…と。
絵本を読みながら、あれこれ想像してみるのが楽しいです。

絵本の中に目指す世界があるのだとしたら、読まない手はありません。
お子さんとご一緒に。
おひとりさまでも。
ぜひ、ページを開いてみてください。





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