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こんにちは。
今日もお越しくださいましてありがとうございます。

 突然ですが…自分が大人であると自覚したのっていつでしたか?
成人式?
その式典に出席したからと言って生活が一変するわけでもなし…わたしの場合「自覚」というところまでハッキリとした記憶はなく。

じゃあいつだったんだろ? 社会人になったとき? 結婚したとき? 母親になったとき?

・・・いや。もしかしたら、人の顔色を見て自分の意見を飲みこんだとき?自分のやりたいことより他者の意向を優先したときだったのかも・・・。
それを「大人」と定義するなら、ちょっとサビシイなぁ。
おとなってなんだ? そんなことを立ち止まって考えさせてくれた絵本が今日ご紹介する一冊。

 アメリカの人気児童書文学作家であり画家でもあるウイリアム・スタイグ作「おとなって じぶんでばっかり ハンドルをにぎってる」(木坂涼訳/セーラー出版)


 ウイリアム・スタイグと言えばディズニー映画にもなった「シュレック」(原題は「みにくいシュレック」)の原作者として知られていますが、実にたくさんの絵本や童話を世に送り出しています。


 ウイリアム・スタイグは4人兄弟の末っ子。3人の兄はそれぞれ音楽家、画家、詩人という芸術家で、両親も画家という芸術一家で育ちました。
そんなウイリアムですから漫画家としてプロデビューしたのは23歳という若さ。
その後彫刻家としても著名になり、絵本作家の友人ロバート・クラウスのすすめで絵本の仕事も開始します。


 ファンの多い「ロバのシルベスターとまほうの小石」(初版1969年/瀬田貞二訳/評論社)は彼の3作目の作品で、この作品で早くも(アメリカ絵本界における最高峰メダルである)コールディコット賞を受賞。
(余談が長くなりますが)この絵本はウイリアムが幼い頃から好きだった「ピノッキオの冒険」を下地にしているのだそう。

 さて、そろそろ本日の本題「おとなって じぶんでばっかり ハンドルをにぎってる」の話に入りましょう。


 トビラには不機嫌そうな少年が車の運転席で手足をロープで縛られてる絵が!
「おとなって、こどもを しあわせに させたがるんだ。」、「おとなって、じぶんも むかしは こどもだったって かならずいう。」、「おとなって、しかるのが すきみたい。」、「おとなって、いじがわるい」、「おとなって、やたら 体重をはかるし、カガミを のぞいて ばっかり。」・・・

 もうこの辺で、読まされているわたしは「はいはい。そのとおりでございます。ほんとうに、すみません💦」ってあやまりたくなっちゃう。 

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「おとなって、いつもじかんをきにしてる。はしるのがへたくそ。すぐ、つかれちゃう。」 それに・・・
「あちこちが いたいみたい。ぎろんずき。世界でいま なにがおこっているか しりたがる。こどもが れいぎただしいと うれしがる。おとなって はげちゃう。歯のとりはずしが きく。
すごい いびき。しわくちゃ。いろんなものを かくす。税金をはらうのが きらいみたい。いろんな薬をのむ。」
(この他にも本文にはまだまだ「おとなって~」があります)

きゃー!お願いだから、もうやめて!  
耳が痛すぎてアタマを抱えたくなっちゃう。

 そして、最後のページには、トビラの少年が不機嫌そうに助手席に乗ってる姿と、少し楽しそうな顔で運転する父親の絵が。
「おとなって、じぶんでばっかり ハンドルを にぎってる」 とある。

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 おとなになると、こどもの頃のことを、ほとんど忘れる。
何が不満だったか。何に疑問をもっていたか。自分は自由だったのに。あんなに自由だったのに・・・

いつから窮屈なたましいのケージに自ら入ってしまったのか・・・?

 子どもが読んだら、代弁者のようなウイリアム・スタイグの絵本はきっと笑いがとまらないほど面白いんだろうけど…おとなのわたしは、なんだか妙にツラかった。
なくしてしまったものを、ひとつひとつ思い出す作業のようで。
でも、必要な時間だった。

こんなに直截的に尋ねられることって、あんまりないもんねー。

 ウイリアム・スタイグは、3度の結婚と離婚を経験。完全な夜型人間で、ごく親しい人以外めったに人には会わないマイペース型の人だそう。

要するにウイリアム・スタイグは、子どもの心を失っていない人ということも言えるわけで。

 ウイリアムの3人の子どもたちは全員が画家。
スタイグ家の創造的で自由な伝統を受け継いでいるんだなぁ。

人生、ぐるっとまわって、再び子どものようになりたい・・・って爽やかな決意ができる、そんな一冊です。


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