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失敗するというミッション

初めてのチャレンジ!

あるチャレンジの1つ目が終わった。
仲間と初めて主催した親子向けのイベント。
どの角度から見るかで成功か失敗かは全く変わる。
だから、イベントの最中から頭の中で改善点ばかり蓄積していた。
さて、これをどうメンバーに開示して次につなげていこうか。

でも、反省点はあってよかったのだ。
初回からうまくいっていたら、伸びしろはないということだし、天狗になって調子に乗ってしまう。
今回は、これから自分たちが飛躍するための通過点に過ぎないのだから。

これからどうする?

これからも、なかよしクラブで周りの人たちだけを対象としていくのなら甘めに評価したらいいし、ビジネスにまで発展させていくのならば、真摯に反省しなければならないところは山ほどある。
でも、この反省点の山を開けっぴろげにしたところでモチベーションが下がるだけ。
たぶん、そこまでの耐性はまだ私たちの中にはない。

私たちがより良い方向へ進むために

今回の参加者は知り合いばかりだったので、何でもご愛嬌で許してもらえた。
でも、これが見知らぬ人へも参加を募って、やっていたとしたらお叱りを受けても仕方がない場面が多々あった。
馴れ合いで忖度して褒めあったところで、改善や成長は見込めない。
私たちは何を目指すのかをもう一度共有する必要がある。

過度に忖度した評価は不要だ

私たちは、がんばっていればそれでいいのか?
がんばりを最大限尊重するような評価でいいのか?

以前、こんな記事を書いたことがある。

私たちもこの記事で触れた小学生のように、フェアにジャッジされるべきなのではないか。
自分自身がこの記事で書いたことがブーメランとなって突き刺さるように返ってきた。

社会に出たら少なくとも仕事の上では、ただ自分ががんばったからといって評価されることはありません。
相手の満足度や納得感、課題解決ができたかどうか、異なる立場の人との協働などが複雑に絡み合い、自分の目線から見ている世界線だけで動いていては認めてもらうことは難しいでしょう。

学校教育の場にあったらいいと思ったこと

課題を共有し、向き合う難しさを乗り越える

過度な忖度はやめて、本当のところを話し合う必要がある。
これからもう少し事業として整えていくのならば、うまくいかなかったことを見て見ぬふりはできない。

問題は、その本当のところの出し方。
これは私が直面している課題の中でもけっこうなウェイトを占める問題。
私自身も試されている。
慎重に、でも的確に、がんじがらめにしないように。

失敗してよかった

今回のことは、私自身は失敗したっていいと思っていた。
次につなげるためには失敗してみるのもありじゃないか、くらいにすら思っていた。
だから、失敗することを成功したとも言える。
失敗のあとにどうできるかがこれからの分かれ道なのだと今まさに実感している。

よし、また前に進もう!

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