まゆ

教育やら福祉やらを学んだり、そのあたりで働いたり。 今は、地域で暮らすとはどういうこと…

まゆ

教育やら福祉やらを学んだり、そのあたりで働いたり。 今は、地域で暮らすとはどういうことか、そのあたりが仕事です。 どんなときでも「こどものしあわせ」って何かを考えながら生きてます。

マガジン

  • 「そらぱれ(旧みちらぼ)」のこと

    子どものオンラインでの習い事について書いてます。私もいっしょに学んでいます!

  • 私のこと

    私の自己紹介代わりの記事を集めました

  • 「まちづくり」とか

    今の仕事を通じて考えていることを書いています。

  • 仕事とかキャリアとか

    Skillme(在宅ワーカー養成講座)で学んだことや、これからの働き方のこと、そして私はどんな人間なのかを書いています。

  • 子育てなど

    これまで教育や福祉を学び、仕事にしてきた私が自身の子育てを通して考えていることを書いています。

最近の記事

我が家が「そらぱれ」を続けられている理由

実は、我が家の「そらぱれ」の講座そのものの参加率は低めだと思っています。 時間もないし、子どもの興味もパソコン!!って感じでもなくて、他のことに気がとられることが多くて、親の私としては(お金を払っている側としては)やきもきします。 (今も、これを書いている傍でトミカで遊んでます。) それでも、「そらぱれ」にいられるのは、「そらぱれ」がコミュニティであり、居場所みたいなものだからなんだろうなと思ってます。 うちの子にそもそも習い事という概念があるのかどうかも不明なのですが、

    • 日記らしい日記?

      今日は、stand.fmを収録したことをよいことに、noteの存在をうっかり忘れそうになってた。 でも、忘れてなかった。 忘れてもよかったのに、忘れきれないところがまだまだ私らしい。 ということで、今日はいかにもな日記を書いてみようと思う。 午前中は「そらぱれ」の講座に子どもと参加。 今日は昨日とは違って、うちの子には発言の一切を公にすることをNGにされてしまった。 そもそも参加前から発表する気はさらさらなく、チャットに書き込むのも拒否。 チャットくらいいいじゃない、と思

      • stand.fmを始めてみた

        stand.fmという音声配信のプラットフォームがあります。 実は、そこで配信を始めてみました。 毎日書いてるのにそれに飽き足らず、音声まで始めたの?と思われるかもしれないけれど、それは半分正解だし、半分くらいはちょっと違うかもしれないです。 動画でもなく、文字でもなく、音声の配信。 自分の声だけでの勝負。 喋ってしまった言葉は戻ってきません。 推敲に推敲を重ねることもできません。 とても、それが怖かったんです。 でも、よく考えたら今のnoteだって同じ。 最初の頃こそ、

        • 新しいことに飛び込んでみた

          久々に「あー、楽しかった」で終われる日になった。 楽しいアイディアを持つメンバーと話をする時間。 私はこういう時間がとても好きだ。 アイディアというのは多ければ多いほどいい。 実現しそうにないことだってとりあえず自分の口から出してみたら、他の人がうまい具合に拾ってくれることもある。 最初から実現可能なアイディアなんて出てくるわけがなくて、実現させようとする一つを生み出す前には、何十、何百、何千というアイディアの種をまいていることがほとんどだ。 そのためには、何でも発言できる

        我が家が「そらぱれ」を続けられている理由

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        • 「そらぱれ(旧みちらぼ)」のこと
          10本
        • 私のこと
          20本
        • 「まちづくり」とか
          9本
        • 仕事とかキャリアとか
          28本
        • 子育てなど
          34本
        • 読書記録とか
          4本

        記事

          立ち位置が変わる

          どんどん職場の中での立ち位置が変わる。 前の部署でやり残したことも、まだまだやりたかったこともあったのに、不本意な異動を遂げた私は、ジレンマを抱えたまま過ごしている。 しかし、そのジレンマが時間の経過とともに若干薄らいできているのは、何となく悲しくも淋しくもあるけれど事実だ。 その事実は、何だか自分で自分を裏切っているようでどこか苦しくもある。 今でも、前の部署に立ち寄れば何でも手伝いたくなる気持ちはあるのだけど。 実は最近、いろいろなことが舞い込んでくる。 部署内のこと

          立ち位置が変わる

          私が資料を作りたくなるのは

          新しい部署に来ると目につくことがある。 それは、既に作成された文書とか資料とか。 みんな、当たり前のように前任から引き継いで、何の疑いもなくまた然るべきときに使おうとする。 でも、ちょっと待って。 それが本当にベストなの? もちろん、正しいことが書かれているはずだけど。 もっと読みやすい、見やすい、伝わりやすいやり方があるんじゃないかな。 (ちょっと最近は乱暴に書きすぎているから信じてもらえないかもだけど)私は文章を作るのが好きだし、得意な方だと思う。 少なくとも文章を書

          私が資料を作りたくなるのは

          空虚なときもある

          今日は書くことがなくて困っている。 仕事中もすることがなくて若干困った。 とりあえず年度初めのピークは過ぎた。 前例踏襲で過ごしていくならかなり余裕のある時期もあるということか。 実は、私はこの誘惑に弱い。 やれるならやったほうがいいことはたくさんある。 でも、エネルギーを節約したくなってしまう。 そして、ここで手綱を緩めると、なりたくない私になってしまうことは分かっている。 今やれることはどんなことがあるのか。 去年1年間の決裁の履歴を見て、これから待ち受けることと準備で

          空虚なときもある

          子どものお金の学び

          お金を使うことって難しい。 最近初めてうちの子がお小遣いで買い物をした。 さんざん、さんざん悩んで買うものを決めた。 いろんな雑念に惑わされずに欲しいものを選んで選び抜いて、なかなか上手に買ったと思う。 我が家の小学2年生の子のお小遣いはお手伝いで稼いでいる。 それに、お年玉から預金とお財布に仕分けした分のお金がある。 お手伝いに報酬を渡すことについて、賛否両論があるのは承知しているけれど、その話はまたの機会にするとして、定額制のお小遣いは与えていない。 そして、普段から散

          子どものお金の学び

          後輩を育てるということ

          いっしょの時期に、別の部署から異動してきた後輩に質問される機会が本当に多い。 私は彼女のおかげで自分の成長に気づけたし、まだまだ成長させてもらっている。 彼女は、実はまだ採用されてから日が浅い中での異動だ。 前の部署のこともようやく分かってきたところでの異動はまさに青天の霹靂だっただろう。 だから、扱う事業のことが分からないことは当然ながら、その事業を進めていくための基本的な仕組み自体が分かっていないことが多い。 でも、彼女はすごく素直に分からないことを尋ねてくれる。 分

          後輩を育てるということ

          やりたいわけではないけれどそれがいつかやりたいことにつながるのかもしれない

          私の特性として、目の前にある課題に注力したくなる、ということがある。 その課題を私自身が解決したいかはともかくとして、課題と向き合うことそのものに興味があるみたい、ということが、ギバーさんの「プラスの部屋」へ行って分かったこと。 だんだん今の部署でもそんな特性が表れてきている気がする。 外部の人から指摘された課題、要望。 内部からはそれは無理だと言われる。 本当に無理なのか、本当にしないといけないのか、両方から考えようとしている自分がいる。 無理ならどう説明責任を果たすの

          やりたいわけではないけれどそれがいつかやりたいことにつながるのかもしれない

          自分の道を進む

          自分の道を進むということには、2種類あるのではないかと最近気づいた。 ひとつ目は、自分自身で選んだ道を進むということ、ふたつ目は、自分で切り開いた道を進むということ。 この2つは似てるようで決定的な違いがある。 この春の人事異動で不本意な結果となった私は、異動先の職場で自分の価値を見出だせずにいた。 (正確にはもちろんまだ見出せてないけれど) でも、しばらくここで過ごしてみると私は私でいることが私の価値であるような気がしてきている。 これまでは、先人の作ったいくつかの道の

          自分の道を進む

          混沌と混乱の子どもの世界

          今日は書き始めるのが出遅れてしまった。 それは思いのほか、いつもより子どもとの会話が弾んでしまったから。 だから、子どもと話す前まで考えていた今日書こうと思っていたことは明日以降に回すことにして、今日子どもと話したことを残しておこうと思う。 始まりはお金の話から。 きっかけはきっと些細なことだったからもう忘れてしまったけれど、何であの紙切れ(紙幣)に価値があるのか、物と交換できるのだと思う?と問いかけてみた。 こんな話をしていたら、「そらぱれ」の生き抜く力の講座を思い出した

          混沌と混乱の子どもの世界

          子どもの居場所がある場所

          毎日毎日子どもと向き合っているけれど、第三者のほうが何かと効果があるな、ってことがあって、有り難いと思うのと同時にちょっぴり悔しい。 でも、やっぱりだからこそ親や学校の先生以外のつながりってあるといいよな、と思っています。 我が家は「そらぱれ」(旧みちらぼ)というオンラインの習い事に参加しています。(みちらぼは今月から「そらいろぱれっと」と名前を変えてパワーアップしています。) この習い事では、デジタルツールを学べると同時に、「生き抜く力」を育てることにも注力していて、習

          子どもの居場所がある場所

          日々の発信はジグソーパズル

          昨日noteを書いていて気づいたことがある。 きちんと私の道はつながっている。 行き先なのかゴールなのか、目指すものはまだ見えないにせよ、ちゃんと道筋はできているものだな、と思った。 私の考えや思いや行動の軌跡がこのnoteにきちんと残っていっている。 実は、毎日書いているこのnoteは下書きはしない。 書き始めるまで何を書くかも決めていないことが多くて、指の動くままに言葉を並べている。 だから、じっくりと前後関係を確認したり、以前書いたものを引用しようと決めて書き始めるこ

          日々の発信はジグソーパズル

          プラスの部屋に行ってきたそのあと

          3月下旬に、動揺、憤り、不満、不安を抱えていた私は何かに導かれるようにプラスの部屋を訪れていました。 (いや、導いてくれた何かって紛れもなく間違いなくギバーさんですけど) そのときの記事はこちらのとおりです。 実は私はこのときに、ギバーさんといくつか約束をしていて、そのうちの一つが、GW明けにもう一度noteを書くことになっています。 今日はそれまでの中間報告的なnoteを書くことにしました。 私は望んでないし、多分望まれてもいない異動から約2週間。 正直な感想は、緊張

          プラスの部屋に行ってきたそのあと

          コトバツカイになるために

          魔法使いにはなれないけれど、コトバツカイにはなれるんじゃないか。 いや、むしろコトバツカイになりたかったんじゃないか。 だったら今からでもコトバツカイを目指してもいいのではないかな。 ふとそんなことを考えた土曜日の朝。 きっかけは、NHKでやっていた中島みゆきの特集番組。 もちろん、その歌唱力や曲が魅力的なのは言うまでもないのだけど、特にその歌詞に私は釘付けになってしまった。 改めて歌詞に注目してみると、何と心を振るわせるのだろうと一気に見入ってしまった。 そして、子ども

          コトバツカイになるために