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空気は読まない

異動して一ヶ月ちょっと。
基本的にコミュ障の私はいまいち未だに馴染めずにいる。
でもまあ仕事はしてるからいいか。
それに、前例踏襲主義は好きではない私は少しずつ前例を覆している。
メールの処理も決裁の取り方も書類のデザインも仕事の進め方も少しずつ変えているし、意見している。

異動したてというのは、納得できない、理解できない場面に遭遇しやすい。
そこのローカルルールなんて知らないから、ローカルルールの存在すら知らないから、違和感を感じたら考えるし、分からなかったら聞いてしまう。

昔はこんなこと畏れ多くてできなかった。
もちろん年の功ということは否めないけれど、空気の読めなさが上手いこと作用しているとも言えなくもない。
まだ馴染んでいないので読もうとしても読めないし、馴れ合いで解決することもない。
少し孤独ではあるけれど、言うべきことを言えるってちょっと清々しい。

相手の気持ちが分かってしまうと何も言えなくなってしまうことがある。
もちろんそれは必要なときもあるし、大事なことだ。
でも、許さなくてもいいことまで許してしまうこともあってそれは本当はよくない。
でも、波風を立てることを避けるのならばそういうこともたまにある。

私は、私の考える、信じる正しいことを信じていたい。
正しさが正義ではないことは分かっているつもり。
でも、仕事をする上では、一本の筋が通ってないと気持ち悪い。
説明責任を果たすときには、軸がフラフラしていては納得してもらえない。
根拠が揺らいだら結論も揺らいでしまうことだってあり得るのだ。
自分が信じられないような根拠では納得して仕事を続けることはできない。

自分が正しいことと信じることを信じたい。
これは私が高校生くらいの頃から考えてきたことだけど、ようやくそれに近づいてこられたような気がする。
いや、今だってほんの些細なことしか実行できてないけれど、それでも自分で納得して進みたいから自分が信じられることを探し続けている。

自分が信じたいことを信じ続けることは案外難しい。
私たちの周りにはいろいろな色の空気で溢れているから。
どの色も正しいし、どの色も間違いではないのかもしれない。
でも、自分にとって信じるものの色はそんなに多くないはず。
だから、空気は読まない。

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