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後輩を育てるということ

いっしょの時期に、別の部署から異動してきた後輩に質問される機会が本当に多い。
私は彼女のおかげで自分の成長に気づけたし、まだまだ成長させてもらっている。

彼女は、実はまだ採用されてから日が浅い中での異動だ。
前の部署のこともようやく分かってきたところでの異動はまさに青天の霹靂だっただろう。
だから、扱う事業のことが分からないことは当然ながら、その事業を進めていくための基本的な仕組み自体が分かっていないことが多い。

でも、彼女はすごく素直に分からないことを尋ねてくれる。
分からないままにしようとしないところが彼女の良いところであり、リスペクトすべきところである。
しかも、質問する前に一生懸命自分なりに考えてくる。

正直、私は驚いている。
去年は彼女の同期といっしょに仕事をしていたけれど、彼はどちらかというと掴みどころがなく、何を説明しても暖簾に腕押しで、言われたことをするのも精一杯で、「そもそも論」を考えようとはしていなかったから。
若い子ってそんなものかな?と思っていた。
というか、そう思うことで諦めていた。
教えること、育てることから逃げていた。

そもそも、「そもそも論」とは

物事を原初に立ち返って論じること、さかのぼって必要性や存在意義などを問うこと、などを意味する表現。「どのようにするか」を議論しているときに「そもそも、どうしてそれが必要か」という問いを蒸し返すようなあり方。

Weblio

ということだ。
まあ、「そもそも論」を振りかざすとうざいと思われることもあるらしいけれど、仕事をするうえでは避けてはいけないと思っている。
そもそも何のためにこの事業をするのか。
どうしてこの手法で進めるのか。
何を根拠にどう人に説明するのか。
課題にぶつかったときには「そもそも論」に立ち返ると解決策が見えてきやすい。
(だからすぐに何についても「何で?」と聞きたくなるんだろうな)


私は彼女に尋ねられるたびに、「そもそも論」に立ち返る。
そして彼女もそれを追いかけてきてくれる。
彼女は、謎解きをしているように、パズルを組み立てるように自分の疑問を一つ一つクリアしていく。
打てば響く彼女に私の知っていることや考えを伝えていくことはとても楽しい。

そこで私はふと気付いた。
自分は、いつの間にこんなに知識を身につけて、それを使って思考しながら仕事ができるようになったんだろう。
それはこれまでの一日一日の積み重ねの他ならない。
だから、彼女にも答えだけを伝えるのではなく、いっしょに考えて答えを見つけて、答えの見つけ方を伝えていきたい。
覚えられないことや即答できないことだらけで構わない。
何を調べたら、どういう道筋で考えたら答えにたどり着くのか、それが分かれば充分なのだ。

そうは言っても私も分からないことはまだまだたくさんある。
単純に知らないことは他の人に訊いてみるし、これまでのことを応用して考える時間をもらうこともある。
質問されればされるほど私も成長する。

後輩を育てていくこういう瞬間って、単純に後輩のためというわけではなく、自分にとっても楽しいんだな、と初めてのことを経験しているのかもしれない。
まだまだ人として知らないことだらけだな、私も。

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