やりたいわけではないけれどそれがいつかやりたいことにつながるのかもしれない
私の特性として、目の前にある課題に注力したくなる、ということがある。
その課題を私自身が解決したいかはともかくとして、課題と向き合うことそのものに興味があるみたい、ということが、ギバーさんの「プラスの部屋」へ行って分かったこと。
だんだん今の部署でもそんな特性が表れてきている気がする。
外部の人から指摘された課題、要望。
内部からはそれは無理だと言われる。
本当に無理なのか、本当にしないといけないのか、両方から考えようとしている自分がいる。
無理ならどう説明責任を果たすのか。
できるとしたらどんな手法をとれるのか。
考え出したら止まらない。
早く考えたくてウズウズして、眼の前の仕事を早く片付けてしまおうとスピードアップする。
ここで大切なのは、まずは与えられた仕事をしておくことで当たり前に信用されること。
これができていなければ、考える時間は許されないので最低限のことはこなせるようになっておく。
実はここは、思っていた以上に早くクリアできそうな気がしてきた。
そうなると、いろいろなことが気になってくる。
たまに、周りの人からも思いもかけない相談が持ちかけられたり、情報を得られたりもする。
そうしているうちに、異動前にこの部署について持っていた情報と内情が結びつくことも出てくる。
これを総合していくと、課題が見えてくる。
別に、私に解決しろというミッションが与えられているわけではないけれど、目の前に課題が転がっていると、つい反応したくなってしまうのが私の性だ。
どの課題なら手を付けられそうか。
まずは私一人でも何とかなりそうなことから始めたい。
上司の主義主張と相反してしまいそうなことは今は後回しだ。
もう少し上司からの信頼を積み重ねないとうまくいくものもいかなくなる。
こうなってくるともう少し知りたいことも出てくる。
そして、今まで外から見てるだけの立場だったときのことを思い出す。
点在している課題が線でつながりそうだ。
これを何とか見極めたい気はする。
こういうことを考えること自体はワクワクする。
でも、本当にこれがやりたいかと問われると、何だか違う気がして心がザワザワしてしまう。
これに気づかないでいられたら、気づかないふりをしていられたらどんなに楽だろう。
でも、今の場所で私にできることをチャレンジしていくことで、私自身も成長するし、私という人間を認めてもらえれば、私が選べることも増えていくだろう。
きっとそれは今いるところでの話ということではなくて、もっと広く周りも含めて私から選んだり、周りから選んでもらったりする場面が増えていくんじゃないかと予想している。
とにかく今は見えてきたことをやってみる。
何度もこの自分のnoteを引用するけれど、 本当にこの過程の中に今の私はいる。
求められてできることをやっているうちに、やりたい仕事はあとからついてくるもの。
きっと今はこれでいいのだ。
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