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完璧な風


 凧揚げをしようと思って、3ヶ月くらい経ってしまった。受験が終わったら凧揚げをしようと思っていたのに誰も誘えなかった。大学生になってしまった俺には、もう凧はあげられないのかもしれない。そういうことを思いながら学食の毛糸玉のような唐揚げを食べていた。


(1週間前)

生乾きのズボンでバイトに向かっていると、道を通る野良猫にも煽られているように感じるのは、今が春と梅雨のちょうど間にあたるからでしょうか。


 新しく友達ができたので、凧揚げに誘ってみると快く承諾してもらえた。しかしこの時点ではまだ俺は安心していなかった。全く大丈夫ではなかった。なんだかんだあってできないものなのだ、凧揚げとは。うやむやになってしまうものなのだと。



(5日前ごろ)

 何かに向かっていくことに対して焦りがあった。焦っていたのは、追いつかないことではなく、俺が置いていってしまうことについて。学校を休んでBOOKOFFに向かう途中、自転車の速度によって自分とは逆方向にすすんでいく街路樹のことを思い出した(多摩川の土手が真っ黒の塊に見えたことを思い出した)。
 その時の俺はどうにも学校(とその周辺の全て)から離れたくて、そしてあわよくば夏にしか出会えない可憐な少女との逃避行を演じたくて、河川敷に沿って自転車を漕いでいた。空気が入っていないのか、ペダルが少しずつ重くなっていく(と同時に日が暮れていく)。川とは反対側の車道がだんだんと広くなっていくにつれて、ひどく寂しい気持ちになったので逃げるようにUターンした(少女がいないことは初めから分かっていた)。家には帰りたくなかったので、昔通っていた保育園のあたりを自転車でゆっくりと見て回る。なにをしているんだろうという思いをペダルにのせることで打ち消す。そういう便利なシステムが、夜の住宅地を駆け回っていた。
 夕暮れ時に見た、河川敷に盛られた土の山。なにか工事にでも使うのだろうか、と思い出していた。焦茶色は夕日の中に置かれると黒々しいピンクになるのだと発見した。現在、その土の山はショベルカーで崩されて跡形もない。

 過去のそういうことを定期的に思い出す。思い出して感慨に耽るほど長くは生きていないのに、こんなにも蓄積されているように感じる。本当に本当に小さな声でもいいから出しておかないと、思い出しにはとても耐えられない。将来的には公共の場に出るに相応しくない人間になってしまうのではないか、と気が気でない。公共の場って一体全体なんなんだ?
 そういう時に自分が出す声は近所の鴨の鳴き声に似ていて、しょうもないグルーヴがある。


(2時間前)

 おそろしい目をした猫が2匹。精神的に自立しているのだろう。俺とは比べ物にならないほど。友達が言っていた、野良猫と飼い猫のちがいについて思い出しながら、その場を後にする。いや、先にいなくなったのは猫達の方だったので、後にされた。俺は後にされた。
 後にされる少し前、猫たちにドッキリをしてみたところ(動画で見たことがあった)、無視された。突然地面にバッタリと倒れたら他人だとしても心配されるだろうに。背中に吸い付いたコンクリートは、余計な冷たさがなくて本当に心地よかった。一瞬だけ猫のことを忘れた俺を、校舎が見下ろしてくる。軽蔑するようなまなざしは猫と似ていた。俺は猫に見下されていたのだ。なぜなら猫アレルギーだから。猫よりも自分の体の方を大切に思うあまり過剰反応してしまう、思春期のような敏感な俺の体を、猫は見抜いていたのだろう。俺が体勢を起こしたときには猫の姿は消えていた。2匹とも。

 校舎裏で誰かが世話をしている痩せた猫。これから凧揚げに行く。行ってきます、猫さん。地方の野良猫はもっと厳しい環境に晒されているらしいですよ。私はそんなことつゆ知らず、なんなら猫アレルギーだもんで猫に触ったことも一回しか無いのです。一回目に触った時に足首に赤いブツブツができたのを覚えています。知らないことばかりです。無知を自覚するのは疲れますが、安心もします。

 公園に着いた。サッカーのクラブチームが使うような広いグラウンドに踏み入ると、もう既に感動していた。視界の真ん中から端まで同じ色とテクスチャーだったので、びっくりしてしまった。グラウンドの中央に向かって歩き出す。景色は変わらない。



・試着室で鏡を見たときの途方もない失望


 たこ糸をほどよい長さで弛ませて、風を待つ。待っていられなかったので全力で走ることにした。自分から迎えに行ったほうが大体のことは早く済む。グラウンドの端っこにいる友達が手を振っている。俺は中央でスタンバイオーケーだったので、友達がこちらを向くのを待っていた。「いいよ」と声が聞こえたので、俺はひさしぶりの速度で走り出した。耳の横を空気が通る音がうるさかったがあまり気にならなかった。たこ糸にテンションがかかる。俺は走っている。



(3秒前)

 過去と未来を地続きとした場合の、ながいながい時間の帯が、この右腕と左腕がつくるすき間に(くしゃくしゃと音を立てながら)おりたたまれていく。収斂があまりにも強かったので、折り目は金属のように硬く(金属のように輝いて)いた。俺の足元をひきずられていた時間と、今この瞬間が完全に重なったとき、俺の右腕と左腕は一切のすき間なく、それを抱きしめていた。風が吹き抜けていくのと同時に、わたしは全てを完了させてしまった。
(終わってしまうかのように一周した)


・合唱コンクールが終わったあとに、自分の歌だけが周りよりも下手で、声が周りよりも大きかったことを友達から半笑いで告げられた。



(1秒後)
 凧が飛び立ったシーンを確実に見ていた。俺はその時前に向かって走っていたから、そんなはずはないのだが、地面を離れる一連の動作を、見た。糸がすこし重くなったと思うと、やせ細った膝を立ち上げるように凧が上昇する。俺はよく覚えている。空に吸い込まれるとか風が運んだとかの表現された類のものとは確実に異なった、本当の力が働くのを。空を飛んだのは絶対に凧だった。凧が自力で飛んでいた。凧が空を飛んだのを俺は見ていた。走って追いつくのが精一杯だから、風が糸を重くしていることが笑ってしまうほど嬉しかった。指に糸が食い込んでいく。
 これほどの完璧が許されていいはずがない。



(しばらく経った後)

凧が徐々に高度を落として、踊るようにして地面に近づいてくる。両手を広げてそれを待っていた。空しか見ていないから、誰かにぶつかってもしょうがないなと思っていた。自分の足がもつれるたびに、凧を中心として周りの風景がクルクルまわる。視界の端で。雲はすこししか浮かんでいなかった。凧が切り裂いた雲が布切れみたいに空にのさばっている。そこらへんのことは後回しでよかったので、私は凧を抱きしめた。
 地面に落ちる寸前、私は凧に向かっていくようにして(落下するようにして)両手で掴んだ。すべてを抱きしめたと思った。これまでのすべてにこの両手で抱擁してしまったのだと。なにか取り返しのつかないことをしてしまったのだと、そう思うと、幸せでたまらなくなってしまった。





(5月26日)

 不思議なことだった。まだよく分かっていない。自分が目の前の楽しいことだけを考えていたこと、それがいとも容易く行われたこと、出来事の全部が私にはとても抱えきれなくて、どうも笑うしかなかった。あれがなんだったのかと聞かれたら困ってしまう。ただ何かは起こっていたのだ、あの瞬間に、そういう確信的な感触があった可能性がある。あのグラウンドを駆けた自分のフォームは、生きるにふさわしいような気がしてならない。
 






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