『昨日より赤く明日より青く』感想①

映画『昨日より赤く明日より青く』の感想①です。『BLUE BIRD』、『言えない二人』について書いています。
※本編内容に直接言及する箇所がありますので、既に映画を観た方、観る前のネタバレOKの方向けです。


●『BLUE BIRD』

互いがたった一人の家族である兄弟の日々と別離と絆の物語。作品タイトルの「BLUE BIRD」の直訳は「青い鳥」。兄と妹が幸せの青い鳥を探す童話「青い鳥」を連想したため、この童話と合わせてこの作品について考えてみた。夢の中の旅の末、青い鳥、言い換えれば幸せは自分たちのごく身近なところにあると気づくというのが童話の核心部である。『BLUE BIRD』においてはこんなんで幸せになれるのか、という弟の問いに対して兄がバイクを直して幸せを探しに行こうと答える形で「旅」のイメージが提示されるが、結局二人でバイクに乗ってどこかへ行くという夢は果たされないまま、弟の死によって唐突な別れが訪れてしまう。しかしながら、「幸せはすぐ近くにある」というメッセージは、ままならないことがありながらも二人で笑い合って過ごす毎日が幸せだったという形で描写されていると思う。また、作中で兄にとっての幸せの象徴は弟の存在であるが「弟の死=幸せの消失」ではないことは、「ブルーバード」のビンの王冠の登場から読み取れる。青い鳥/弟を亡くした兄は、以前弟と「死んだら海に骨を撒いてほしい」という話をしたことを思い出し、遺灰を持って仕事場近くの海へ向かう。(このやりとりも何気なく交わされたものであるが、明日、あるいはこの先どうなっていくか分からないという兄弟の心の内が見てとれるような会話シーンであると思う。)一種の約束を果たすことで何かに区切りがつくかと思いきや、遺灰は砂だらけの仕事場のどこかへと消えてしまう。こうも取り返しのつかないことが、突然に何度も起こるものかと胸の痛む場面である。その後、弟から受け取った「ブルーバード」の王冠がその思い出と共に取り出され、兄はそれをジャケットに鋲で留めつけて旅に出る、というところで物語が終わる。映画としての兄弟の物語はここで終わるものの、人生ならば生きている限りは続いていく。そうした形で物語が進行するからこそ、兄にとって弟との繋がりは幸せの一つであり、今後別の幸せを見つけることもできるだろうという希望がラストシーンで旅が始まることが示唆されることで描かれているのではないかと感じた。王冠は兄弟の過ごした時間、思い出を象徴する。死によってある人の存在が失われても、その人についての思い出、記憶まで損なわれるわけではない。そういった意味で幸せは常に傍にあると言って良いだろう。ただ大切な人の死を想ううえで「心の中に生き続ける」ということが時に気休めにもならず、受け入れることに時間がかかる。
作品で印象深いのは、画面の鮮やかな色づかいと日常の描写の巧みさである。今回のシネマファイターズプロジェクトのタイトルは『昨日より赤く明日より青く』であるが、この作品では色が非常に重要な意味を持ち、特に強調されていると感じた。赤い夕焼け(空については別作品と絡めて後述したい)、青い髪(『アデル、ブルーは熱い色』のように鮮やかで、登場人物やテーマを際立たせる)など、風景も人物もはっきりとした色でいきいきと描写される他、花火の閃光には眩しさだけでなく刹那的なイメージが思い浮かび、この物語における生の位置付けとの繋がりを見た。弟を亡くした後、兄が髪の色を青から黒へ染め直す場面では変化というものが台詞無しで端的に示されていて印象に残った。
日々の描写(自転車に乗りながらのガム飛ばし、戯れながら働く様、海を眺めて二人で話す時間など)は何度も繰り返されるが、基本的な部分は同じでも細部を見てみると毎日少しずつ違ったことが起きていることがわかる。似ているけれど一つとして同じものはない日々が巧みに描かれている。とりわけ、自転車の場面などは後半部で兄が一人になったことを明確にしていると感じた。
パンクスタイル(背中に書かれた「PUNX NOT DEAD」、Aの文字がアナーキズムのシンボルであるサークルAで書かれている。70年代パンクロックブームと関連し、以降パンクのカルチャーの中に浸透したもの。)のファッションが個性を描き出す要素として用いられていることも挙げておきたい。以前佐野さんがインタビューの中でファッション、ダンス、その他生活の中で選択されるものと、それらの属するカルチャーとの密接な繋がりについて詳しく話しており、この作品にはそうした思想も反映されているように思った。
(該当のOTAQUESTインタビュー記事は以下。佐野さん自身のルーツや嗜好、ダンスとファッションの関係、流行、カルチャーが構築される日本の都市などについて。
https://www.otaquest.com/reo-sano-fashion-interview/

●『言えない二人』

幼馴染の女性に対する主人公・あゆむの片想いを描いた作品であるが、物語を見ていくとタイトルの「言えない」という言葉には「主人公が彼女に自分の気持ちを言えないこと」だけでなく、複数の意味があることが分かる。冒頭、あゆむは友人・慶介からの電話を受け、彼女と別れるのを手伝ってほしい(他に好きな人ができたので別れたいということを代わりに彼女に伝えてほしい)と頼まれ、渋っている。慶介の彼女というのが、あゆむの想い人・柊子である。「あゆむは慶介が彼女と別れたがっていることを柊子に言えない。」一方で彼女は慶介の気持ちになんとなく気がついている。けれど、それでも彼のことが好きなので相手の気持ちの変化に察しがついていることも、別れるということもおそらく「言えない」のだ。さらには、あゆむの気持ちに対してさえやはり何も「言えない」。作中であゆむと柊子は慶介の誕生日プレゼント選びのために一緒に出かけ、いろいろな店をまわったり、一緒に食事をしたりしながらたくさんのやりとりをする。何気ないやりとりもあるが、あゆむ、柊子、そして慶介の関係と絡めて「好きよりも嫌いという感情の方が熱量がある」だとか、「今日二人で過ごした一日がどこかの誰かに影響を与えているかもしれないと考えると怖いし楽しい」というような、日常においてそう気軽に交わされることもないと思われる、ある種哲学的ともいえる話までいろいろなことを話す。けれど肝心なことは「言えない」まま、お互いに相手が何か話を切り出すのを待つような様子で並んで歩きつづけるという場面で物語が終わる。言えないことが軸にありながら、二人の会話、中でも特に意味のない会話が魅力的な作品だった。文具を見ながら、こういうプレゼントは中学生っぽい、でも大人っぽいのもある、スマホで済むのに手帳なんか使うかなというやりとりや、柊子が絵を見ている横であゆむが少し屈みながら値段を確認してぎょっとする場面など、自然で気を遣わずに話せるところに幼馴染という間柄の近しさが表れている。思ったままのことを相手に言う場面からは言葉を発した人の価値観がよく分かる。作中にはあゆむが自分や柊子の性格について自分の考えを直接的に語る場面があるが、そうでなくともこれらの会話の積み重ね、何を言い、反対に何を言わないかというところから登場人物の細部が見えてくるような気がする。ごく普通の大学生のある一日を切り取った物語だからこそ、劇的でなく、自分の日常でも交わしたことのあるようなやりとりに魅かれ、物語を楽しむことができた。個人的に、柊子を改札まで送ったあゆむが帰りはどうするのかと問われて「俺、JR」とだけ答える場面が印象に残り、気に入っている。誰かとの別れ際に「帰り、何線?」「〇〇」「じゃあ、ここで」というような会話の映す日常、という感じがとても好きだ。ラストが地下鉄の改札への階段を上がって、ごく普通の都会の夜の風景の中を歩く場面というのも、これからも続く毎日というものを思わせる。

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