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死に寄り添う

祖父が死んだ。


30年近く生きていて、はじめて経験する親しい人間の死。

晩年は認知症を患う祖母の世話に苦労していたが、その祖母が癌で入院し、手術を乗り越え、施設での生活をはじめた。老体に鞭を打ち、祖母と懸命に生きる日々からつかぬ間の休息を得たと思った矢先、本人が倒れた。

末期癌だった。

穏やかだが頑固で医者嫌いの彼は、治療を嫌がり、自宅で過ごすことを選んだ。それから2か月ほどで亡くなるまで、長女である母を筆頭に私たちは祖父のもとへ通い、好物の刺身や酒を一緒に囲み過ごした。

日に日に細くなっていく身体を見るのがとても辛くなった。

祖父は昔から「自分は86歳に寿命で死ぬ」と言っていたそうだ。その宣言通り、86歳の誕生日を迎え、その後すぐに旅立ってしまった。

とても温厚で物静かな性格ではあるものの、突然ひとりで海外旅行(シリアやオーストラリア)に行ってしまうなど、大胆な行動で驚かされることも度々あった。思えば、身体が自由に動くうちに後悔のないようにという、終活に勤しんでいたのかもしれない。

亡くなる直前、私たちは祖父を、バブル期に購入したものの住むことはなかった別宅へ連れて行った。そこには祖父のお気に入りの部屋があり、一晩だけ過ごした。窓から入る風の音を聞きながら寝ている祖父の足をさすっていると、言われた「ありがと」の一言が心にしみた。

それからは立ちあがることも、食べることも次第にできなくなり、最期は母に背中をさすられ、叔父に手を握られながら逝った。心臓と、呼吸が止まる瞬間まで、声をかける私たちを見ながら、人生に悔いのない、満足した様子だった。

祖父は人の悪口を言わず、静かで温厚な中にも芯が太く、立派な人間だった。

母は、祖父は昔から怒らないし、あまり話さなかったが、彼の死と寄り添い、共に過去を振り返ることで、生き方の手本を見せてもらったと言った。

私は喜怒哀楽が激しく、臆病で、直観で動き、失敗ばかりしている人間だ。そんな私は祖父から、人を傷つけず、穏やかに生きる人生の豊かさを教えてもらった。

仏教の教えを大切にしていた祖父にとって、人生最大のイベントだという葬儀は、祖父の希望通りに行い、身内だけの、彼らしく穏やかで慎ましいものだった。

ある年齢から、親を親としてだけではなく、ひとりの人間として意識するようになっていたが、葬儀中泣く母を見たとき、親もまた誰かの子であると知った。子として親を大切に想い、大切にされてきたのだ。

人の死は悲しく辛い。けれど、死は生きている時間と同じく尊いものだった。これから先もある大切な誰かの死にも向き合い、自分自身もいつか来るその時を、悔いなく迎えられるような生き方をしたいと思った。


祖父への感謝、悲しみ、今の気持ちをここに残します。

安らかに往生できますように。




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